我が子の「授業参観」
先日、我が子の学校で父母の「授業参観」がありました。
配偶者とともに、行ってまいりました。
マイミク(福岡市在住の方)からの、お便り(メッセージ)もありましたので、それを引用しつつ簡潔に記載します。
『P.S授業参観はいかがでしたか? 』です。
21日(土曜日)のことでした。
たいへんでした。
学科は「社会」で、テーマは『私たちの住む町』という題でした。
1クラス30数名中で我が子が一番うるさい!
担任の先生の質問に「ハイ!ハイ!」と言って挙手するのですが、
ウチの子が飛びぬけて声がデカく、とにかくうるさいのです。
さらに、先生の指示に従わない。落ち着きがない。平気で私語する。
我が子の近くで授業参観していた他の子のお母さん2名とお父さん1名が、おかしくてかあきれかえって笑ってします始末です。
授業が終わって、知り合いのお母さんにも大笑いで話しかけられました。
どうりで、学校からの噂で「子どもらしくていい」とか、「少年ぽくって明るい」とか言われている意味が分かりました。
一番後ろの席でした。授業中に先生から2度指名されたのですが、喜んで前に出て『ああだ、こうだ』とやって、喜んで席に戻りました。
「これでいいのかな?」と考えさせられてしまいました。
配偶者といっしょに、笑いを押し殺して我慢して見ていました。
45分間でしたが、冷や汗の連続です。
反対に、他の子たちが、静かだったのが不思議でした。
もっと元気いっぱいでいいはずなのに、おとなし過ぎるように思えました。
それに対して、対照的な我が子です。
どう評価したらいいものか分かりません。
あとで機会があったら、担任と話してみます。
彼は、先生から2回指名されたのですが、それでも物足りなくて、「ぼくに、当ててもらえな~い」と、嘆いてうつ伏していました。
それもクラスに聞こえる声でです。
あれじゃ、回りの父母は笑ってしまいます。
衝撃的な45分間でした。
まあ、親としては、元気で明るいだけいいのかなとの思いでした。
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トランポリンとスカッシュ&ラケットボール.
本日のスポーツクラブは、ひさびさにトランポリンをしてきました。
まだ跳べる!
トランポリンは、あのように見えますが、かなりの全身運動なのです。5分もやっていたら、かなりキツイものがあります。
高く跳べるという爽快感は、格別のものがあります。
あとは、スカッシュとラケットボ-ルです。
スカッシュは、スタッフのクロダ・タカシくん(31歳)。
ラケットボールは、スタッフのタクザワ・シュンイチくん(23歳)。
がっちり疲れました。
汗だくです。
自分でも、「どうしてここまでしなくてはならないのか?
年齢を考えろ! 年齢を・・・」と、分かっているつもりですが、やらざるをえない。
依存症・中毒・病気・悪循環・生活習慣病など、いろいろ思い巡らせられます。
我が子とも、ラケットボールをしてきました。
親子のコミュニケーションです。
070422sun.
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五木寛之「百寺巡礼」が届きました。
五木寛之「百寺巡礼」が届きました。
先般の日記にも書き込みさせていただきました。
4月13日(金)に発注していたものです。
「1週間から10日で届くでしょう」とのことでしたが、幸いにも、早く届きました。
17日(火)には届いていましたが、忙しくて今日(21日;土)に開封して第一巻を視聴できました。
第1集が15巻あります。60のお寺さんを紹介しています。
1巻がおよそ80分間ですので、1寺20分というペースです。
第2集も一緒に取り寄せました。
第16巻から第25巻までの10巻40寺です。
2003年(平成15年)から2年間にわたり、テレビ朝日系列で放映された「五木寛之の百寺巡礼」のDVD全集です。
五木曰く(いはく)・・・。
『わたしたちの、こころのふるさとはどこにあるのか。それを探しに今日も旅に出る。(中略)旅の終わりに何が見えてくるのか。風に吹かれて、今日も寺への道を行く』
100カ寺の旅の始まりスタートは、女人高野山といわれる室生寺です。
奈良県宇陀市(うだし)室生区(むろうく)にあります。
寝入る前、少しずつ観賞していくつもりです。
心やすまる想いです。
何年か前に、五木寛之のCD「人はみな大河の一滴」12巻を購入し、マイカーの中で12巻を4-5回繰り返して聴きました。
今回は、映像とナレーションと五木寛之自身の語りがあるDVDです。
mixiやblogにも、一度には書ききれません。
折にふれて、したためます。
CD全集では、瀬戸内寂聴「寂聴法話集」(全12巻)、相田みつお「にんげんだもの」(全10巻)、「名僧のこころ」(全10巻)を、かつて入手し聞き入りました。
それぞれに、心に強く響くもの、心底に訴えかけるものでした。
私の「人生の終焉は、“禅”の世界で迎えたい」という希いも少なからずあります。
「信仰と悟り」の域に達することができるのか?
日々の生活の中でこそ、修行と精進しなくてはならない。
「その場・その時、その刻々にこそ真実がある」という禅仏教の教えです。
まだまだ未熟な己(おのれ)です。
無知蒙昧の自分自身と熟知しながらも・・・、
「人はなぜ生きるか?」・「人間が生きるとはなにか?」・「自分はなぜこの世に生を受け、行き続けているのか?」自問自答しながら、人生の午後からトワイライトタイム(夕暮れ時)に歩んで生きたいものです。
「その思索の、一助と安息になればいい」という気持ちで購入しました。
五木とお寺の佇まい(たたずまい)が語りかけるものに、リラックスして傾聴してみます。
070421sat.
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