気分を一新~香りも変える。[10.17.fri.]
今日(17日・金曜日)、午後からM医師の診察と検査の予定です。
少々、気が重い。 また、採血と注射と服薬があるでしょう。
心身のコンディションは、70%快復です。
元気も、回復の最中です。
司法書士の仕事と、勾当台ハイツ理事長の職と、ほかにも公私入り混じった用件があります。タスク;任務とでもいうのかな?
雑事というか、十把一絡げ(じっぱひとからげ)の事案も多くあります。
毎日がノイローゼ。 毎日が、鬱状態みたいです。
こんな愚痴っぽい自分自身が、イヤになります。
気分を変えたい。
心機一転したい。 そんな気が満ちています。
卑近なところで、「コロンでも変えてみよう」となりました。
お香が大好きですが、火を使うので、いつも何かと危険を感じてしまいます。
酔っていたり、眠剤を飲んでいたあとでは、とくに危ない可能性があります。
コロンなら安全です。
気分転換用に、Amazonから、ブルガリのオーデコロンを購入しました。
かなり前に、ブルガリを愛用していたことがあります。
ブルガリの緑;グリーンのボトルでした。
最近は、資生堂“メン”、カネボウ“ヌーディ”、マンダム“ギャッツビー”でした。
“ギャッツビー”といえば、チャールズ・ブロンゾンと、ロバート・レッドフォード「華麗なるギャッツビー」が、想起されます。
マンダムが初めて発売されたとき、私は学生時代でした。その頃、洋画(映画)で、チャ-ルズ・ブロンソン大活躍のころでした。 懐かしい!
ロバート・レッドフォードの映画、「華麗なるギャッツビー」の白を強調した画面は、美しかった。
で、話は変わり、ブルガリです。
汗かきの、小生には欠かせません。 お香;アロマなども大好きなので、いわば必需品です。
081018fri.
私のかかりつけの医師による講演会。[10.15.wed.]
ウィンズプランニング主催の、丸山医師の講演会が開催されました。
テーマは、「レオナルド・ダ・ビンチもびっくり。 モナリザのパワーを世界で初めて証明」です。
会場は、青年文化センター 2階 交流ホール。
協賛は、ヒーリングショップ“ユニカ”です。
満席に近い聴講生が、集まりました。
レオナルド・ダ・ビンチ~1452年生れ、1519年に67歳で逝去。 母しか知らない私生児(非嫡出子)だったとのこと。
43歳で「最後の晩餐」を描き、51歳で永遠なる絵画“モナリザ”を顕す。
この日は、第一部として、モナリザを中心に、その医学的・科学的神秘を説き起こされました。
ほかに、「洗礼者ヨハネ」・「聖アンナ」も、併せて解説なさいました。
第二部は、「未来の医療になるさまざまな形」です。
色;カラー療法から、「形」の医療的効果、また迷宮;ラビリンスに及びました。
第三部は、「家庭の中の電磁波」の悪影響です。
着衣や装身具にも、電磁波の悪影響があり、未病や癌の遠因になりかねないことへの警鐘を語られました。
私は、ふと 『この医師は、キリストか、釈迦無二(釈尊)の使いではないか?』と、不思議な気持ちに引き込まれたほどです。
081103sun.
郡 和子さんの後援会事務所開き。[10.11.sat.]
10月11日(土)、午前中は泉区八乙女(みずほ台)で、気象予報士だった斎藤やすのりサンの後援会事務所開きがありました。
つづけて午後は、青葉区上杉で、郡 和子さん(元 東北放送 アナウンサー)の後援会事務所開きがありました。
いずれも、大盛況です。
出席した政治家も、ほぼ同じ顔ぶれです。
※本部長は、参議院議員 今野 東さんです。後援会長は、長池博子さん(産婦人科医)です。
道路も、一直線です。 旧 国道4号線(現 県道)です。
ただし、この道路は、慢性渋滞なのです。
郡 和子さんは、国会で女性武闘派と異名をとるほど、与党に体ごとぶつかっていきます。
郡さんと、最初あまり直接に話したことがなくて、私は、少々「ひとみしりの癖」 があり、距離がちょっとあったかもしれません。
秘書の、星野聖子さんのほうのファンでした。
いまは、なんども会話をしているうちに、コミュニケーションもできつつあります。
※写真は、岡崎トミ子さん、保原さん、今野さんのお嬢さん沙南さん、かつての上司と部下(10数年前スタッフだった小川原くんと2ショット)、司会の市会議員(仙台市)村上一彦さん)、大衡村 村議会議員 作並ゆきのサン。
こちらの後援会開設の会合も、これほど支持者が満ちあふれていました。
郡さんと民主党への、期待の大きさを如実にあらわしているのでしょう。
早く日本も、二大政党での政権交代可能性の、政党政治ができてほしいものです。
081011sat.
斎藤やすのりサンの、後援会事務所開き。[10.11.sat.]
●前日からの疲れを引きずって・・・。
前日、医師からの指導で、医療検査・診察・注射・採血などで、かなり疲れていました。
この日は、『1日中休んでいたいくらい』 でした。
●知人の後援会事務所開設の会合が2件ありました。
しかし、この日(10月11日・土)に、2人の知人が後援会事務所をオープンしました。
一人は、元 気象予報士 斎藤やすのりサンです。
みずほ台(地下鉄)八乙女駅近くに後援会事務所を開設されました。
午前10時半集合です。
いま一人は、郡和子さんです。いずれも、後援会事務所開きです。午後1時開会です。
●少し、遅刻してしまいました。
斎藤さんの後援会開会に、地下鉄で行こうと準備をしていたら、メールで1件(初めての方で相談だけ)、電話で1件(前から関わっている事件)、ともに「成年後見事件」の問合せがあり、それぞれ併せておよそ1時間ほどを費やしてしまいました。
「これじゃ、開会時間に遅れる。たいへんだ。」
あわてて、タクシー会社に電話して、タクシーですっ飛びました。 結局、5分の遅刻です。
斎藤やすのりサンは、奥様・お嬢さんもご一緒でした。
岡崎トミ子さん、今野東さん。郡和子さん、大石正光さん、ゆさみゆきサン、坂下康子さん、菅原実さん、菅原敏秋さん、佐藤わか子さん、岡本あき子さん、安孫子雅浩さん、村上一彦さん、作並ゆきのさん、etc.民主党の近場の政治家はそろっておられました。~記載漏れがあったら、ごめんなさい!
●なぜ、民主党か?
第一に、私の政党政治の信条が、アメリカ・イギリスのような、二大政党制がいいという視点からです。
私も支持者の一人だった、今は亡き(1981年87歳で逝去)、市川房枝さんも、「二大政党になるべきだ」と、おっしゃっておられました。 同感でした。 交代できる政党が欲しい。
それから、第二の理由として、岡崎トミ子サン~もう、30数年のおつきあいです。 彼女が、東北放送のアナウンサー時代の1ファンでした。
彼女が政治家になって、社会党をやめてから、本格的に応援し始めました。
社会党時代は、大労働組合が応援を仕切っていました。 1庶民など相手にされませんでした。
その後、彼女の秘書の島本さんと、飲み歩いたり、当職事務所のスタッフだった小川原くんが、岡崎事務所に勤めたり(小川原くんが、当職事務所スタッフだったのは、もう10数年前のことですが)、別方向からも距離が縮まっていきました。
鳴瀬町の岳父の家が、家族ぐるみで、坂下清賢さんと仲が良かったり、私も、何かの会合で坂下康子さん(県議会議員)と友だちになったり、飲みに言っていた飲み屋(テンダーバー・りつこ)のママが、康子さんの従兄弟だったり・・・。
私の、再婚の司会者がゆさみゆきだったり・・・。
いろんな関係で、民主党関係者とは仲良しになっていきました。
偶然の、積み重ねです。
それが、このように民主党系の方々と、次々に仲良くなっていきました
●自民党とは、つきあいがないのか?
逆に、「自民党は?」 と、いえば。 かなり以前のことになりますが・・・。
宮城県司法書士会で、『政治連盟』の役員や『広報部長』 を、させられた頃があります。
そのときは、もちろん司法書士会としては、司法書士会に有益な法案を通すことのできる与党支持でした。 いわゆる、ロビイストです。立法権も、行政権も握っておられる。
ですが、愛知和男および絢子夫人とも何度もパーティなどでお会いしました。
市川一朗さんのパーティも出ました。 彼の事務所にもうかがってお話したことも、かつて何度かあります。
伊藤宗一郎さんも、大人物でした。 パーティなどでお会いして、話し込んだこともあります。伊藤さんの人柄には、心を打たれました。
ところが、不思議なことに、次にお会いしたとき、自民党の方々は私のことを、全然、覚えていてくださらないのです。
『縁がない』 とは、こういうことなのでしょうか?
自民党は、有力者・有名人でもない、大会社の社長でもない、私のような1小者・1庶民・1市民など眼に入らないのでしょう。
大道塾、自衛隊、その他、数え切れないいろんな会合・パーティでお会いしているのですよ!
そのとき、再度名刺をお渡しして挨拶しなおしているのです。でも、覚えていてくれません。
そういえば、前の宮城県知事の浅野史郎さんもそうでした。 彼には、5-6枚名刺を渡しているはずです。 ただ、夫人は覚えていてくれて、街であっても笑顔で挨拶してくださいました。
●岡崎さんから、始まった民主党系の友人知己!
やはり、『知人になる・友人になる』・『私を、覚えていてくださる』・『私は、シガナイ1庶民・1市民かも知れないのですが、会ってお話ししたときマジメに人の話をきいてくれる』・『コミュニケーションが成り立つ』、そういう人たちと仲良くなり、その方々を支持していくのは、しごく当然です。。
岡崎トミ子サンから始まった、その出会いの積み重ねが、いま私を「民主党系支持者」にしています。
●この日の、後援会事務所開きは、観衆・聴衆もマスコミ・プレスもすごかった。
満席どころか、立ち席だけでなく、会場からはみ出るほどでした。
あふれる観衆・聴衆です。
081011sat.
検査、診察 etc.で、「疲れた~っ!」 [10.10.fri.]
ついに、CT検査をしてきました。 初めてのことで、緊張しました。
大学病院近くにある、MRIとCTの検査専門の医療機関Sクリニックです。 たいへん親切でした。
朝は、通常通り、当職事務所へ出勤し、仕事の電話を5-6本架けてから、「いざ、病院へ!」です。
CT検査のため、病院へ9時10分頃到着です。
CT検査の説明書と同意書
副作用への対応について
検査のフローチャート
受付して、質問事項・注意事項などを文書に記載し、まもなく予診になりました。
緊張をほぐすため、というより、緊張をごまかすため、受付の女性事務員、検査前に行なう診察の医師、検査前の心電図・血圧測定のナースに対し、私からジョークを連発しました。
そのあと、いよいよCTの検査です。 リラックスして受けることができました。 およそ、1時間ほどで済みました。
※検査のあと、ナースに頼んで、記念写真です。 8枚ほどの写真と医師のレポートの入った資料を受け取りました。
午前中は、この検査で終始し、会計と資料授受をいたしました。
その後、昼食に大好きな日本蕎麦(そば)を食べに行きました。
一軒目は、定休日だったので、2軒目で、かけそば(温かい)とざるそば(冷たい)を、併せていただきました。
途中、当職の事務所に戻り、相談案件1件を済ませました。午後がいわば「本番」です。
CTの検査結果にもとづき、診察と治療と今後の対策となります。
午後2時半過ぎに、本診察のMクリニックに入り、受付を済ませました。
30分後に呼ばれ、3時過ぎから、30分ほどCTの結果を主な資料として診察・治療・今後の対策などを主治医と話し合いました。
幸い、内臓のCT断層撮影には、私の内臓に大きな病因・病巣・欠缼(けんけつ)・瑕疵(かし)は、ありませんでした。 2-3の配慮すべき点は指摘されたのですが、基本的に大丈夫です。
今後の自己管理・治療方針・対策などを、主治医から指示があり、私も質問・相談などをして診察を終えました。
その後、注射と採血でした。
※造影剤、採血、注射と・・・、痛々しい私の右腕です。
たいそう疲れました。 検査疲れです。 最後は、具合を悪くして、10分ほど医院のベッドで休ませていただいたほどに疲れました。 安堵と心身の過労でした。
造影剤の副作用のせいか、ふらつき・頭痛も少々あったのです。
しかし、おしなべて大過なし、の結果です。
今後、2-3の数値などを改善・治癒の注意をしていきます。
10月10日(金)の検査でしたが、検査疲れのため昨日1日は2件の用事だけを済ませ、ゆっくりしていました。
今日12日(日)、ようやく元気になり、ブログにも復帰です。
081012sun.