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斎藤やすのりサンの、後援会事務所開き。[10.11.sat.]



Posted in 日記;diary by kubox on the 10月 13th, 2008

前日からの疲れを引きずって・・・。
前日、医師からの指導で、医療検査・診察・注射・採血などで、かなり疲れていました。
この日は、『1日中休んでいたいくらい』 でした。

知人の後援会事務所開設の会合が2件ありました
しかし、この日(10月11日・土)に、2人の知人が後援会事務所をオープンしました。

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一人は、元 気象予報士 斎藤やすのりサンです。
みずほ台(地下鉄)八乙女駅近くに後援会事務所を開設されました。
午前10時半集合です。

いま一人は、郡和子さんです。いずれも、後援会事務所開きです。午後1時開会です。

少し、遅刻してしまいました
斎藤さんの後援会開会に、地下鉄で行こうと準備をしていたら、メールで1件(初めての方で相談だけ)、電話で1件(前から関わっている事件)、ともに「成年後見事件」の問合せがあり、それぞれ併せておよそ1時間ほどを費やしてしまいました。

「これじゃ、開会時間に遅れる。たいへんだ。」
あわてて、タクシー会社に電話して、タクシーですっ飛びました。 結局、5分の遅刻です。

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斎藤やすのりサンは、奥様・お嬢さんもご一緒でした。
岡崎トミ子さん、今野東さん。郡和子さん、大石正光さん、ゆさみゆきサン、坂下康子さん、菅原実さん、菅原敏秋さん、佐藤わか子さん、岡本あき子さん、安孫子雅浩さん、村上一彦さん、作並ゆきのさん、etc.民主党の近場の政治家はそろっておられました。~記載漏れがあったら、ごめんなさい!

なぜ、民主党か?
第一に、私の政党政治の信条が、アメリカ・イギリスのような、二大政党制がいいという視点からです。
私も支持者の一人だった、今は亡き(1981年87歳で逝去)、市川房枝さんも、「二大政党になるべきだ」と、おっしゃっておられました。 同感でした。 交代できる政党が欲しい。

それから、第二の理由として、岡崎トミ子サン~もう、30数年のおつきあいです。 彼女が、東北放送のアナウンサー時代の1ファンでした。
彼女が政治家になって、社会党をやめてから、本格的に応援し始めました。
社会党時代は、大労働組合が応援を仕切っていました。 1庶民など相手にされませんでした。

その後、彼女の秘書の島本さんと、飲み歩いたり、当職事務所のスタッフだった小川原くんが、岡崎事務所に勤めたり(小川原くんが、当職事務所スタッフだったのは、もう10数年前のことですが)、別方向からも距離が縮まっていきました。

鳴瀬町の岳父の家が、家族ぐるみで、坂下清賢さんと仲が良かったり、私も、何かの会合で坂下康子さん(県議会議員)と友だちになったり、飲みに言っていた飲み屋(テンダーバー・りつこ)のママが、康子さんの従兄弟だったり・・・。

私の、再婚の司会者がゆさみゆきだったり・・・。

いろんな関係で、民主党関係者とは仲良しになっていきました。
偶然の、積み重ねです。
それが、このように民主党系の方々と、次々に仲良くなっていきました

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自民党とは、つきあいがないのか?
逆に、「自民党は?」 と、いえば。 かなり以前のことになりますが・・・。
宮城県司法書士会で、『政治連盟』の役員や『広報部長』 を、させられた頃があります。

そのときは、もちろん司法書士会としては、司法書士会に有益な法案を通すことのできる与党支持でした。 いわゆる、ロビイストです。立法権も、行政権も握っておられる。

ですが、愛知和男および絢子夫人とも何度もパーティなどでお会いしました。
市川一朗さんのパーティも出ました。 彼の事務所にもうかがってお話したことも、かつて何度かあります。
伊藤宗一郎さんも、大人物でした。 パーティなどでお会いして、話し込んだこともあります。伊藤さんの人柄には、心を打たれました。

ところが、不思議なことに、次にお会いしたとき、自民党の方々は私のことを、全然、覚えていてくださらないのです。
『縁がない』 とは、こういうことなのでしょうか?

自民党は、有力者・有名人でもない、大会社の社長でもない、私のような1小者・1庶民・1市民など眼に入らないのでしょう。 
大道塾、自衛隊、その他、数え切れないいろんな会合・パーティでお会いしているのですよ!
そのとき、再度名刺をお渡しして挨拶しなおしているのです。でも、覚えていてくれません。 

そういえば、前の宮城県知事の浅野史郎さんもそうでした。 彼には、5-6枚名刺を渡しているはずです。 ただ、夫人は覚えていてくれて、街であっても笑顔で挨拶してくださいました。

岡崎さんから、始まった民主党系の友人知己!
やはり、『知人になる・友人になる』・『私を、覚えていてくださる』・『私は、シガナイ1庶民・1市民かも知れないのですが、会ってお話ししたときマジメに人の話をきいてくれる』・『コミュニケーションが成り立つ』、そういう人たちと仲良くなり、その方々を支持していくのは、しごく当然です。。

岡崎トミ子サンから始まった、その出会いの積み重ねが、いま私を「民主党系支持者」にしています。

この日の、後援会事務所開きは、観衆・聴衆もマスコミ・プレスもすごかった。
満席どころか、立ち席だけでなく、会場からはみ出るほどでした。
あふれる観衆・聴衆です。

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081011sat.

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