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我が子 22歳の誕生日.



Posted in く・ぶろぐ (旧) blog before by kubox on the 8月 5th, 2006

我が子が、22歳になりました。8月4日です。
いま、大学に通っています。昨今、子供がからむ事件が多く、しかもダイレクトに小さな子供が犠牲者・被害者になる事件・事故が頻繁に起きています。

ただ、「成人して、22歳にもなれば、少し安心かな?」というところが、親心です。

    ※写真は、21年前、ゼロ歳時4―5ケ月の頃です。

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22歳~振り返って20年以上の間、いろいろありました。逆に、アッという間のような気もします。たくさんの喧嘩をしてきながらも、親子の絆を強く覚えさせられます。
これから、どんどん親離れしていくでしょう。他人みたいになってしまう。たかが親子、されど親子です。彼の誕生日に、しみじみと考えさせられました。思った以上に、感懐ひとしおなものです。

私は、どんどん急速に、いただいた生命の終焉に向かって、つっぱしっていきます。
彼はといえば、これから、事故・事件・病気など大過なく生きて、順調に生命をまっとうしたとして、およそ50年=半世紀です。

『数え年』といわれる時があります。生まれてきたら、1歳なのです。
彼の場合は、23歳です。私ですと、57歳ということになります。

この考えは、仏教からきていると謂われます。おっかさんのお腹にいる、およそ10月10日を1年と数えます。つまり、母親の胎内であれ、この世に生命をいただいてからの出生(しゅっしょう)までを、約1歳とするものです。この『数え年』のほうが、よほど人間味がある年齢計算だと痛感します。

時代的な背景からか、金や恨みからの犯行ではなく、衝動的・不可解・意味不明な事件が多くみられます。「殺人」が自己目的化、つまり「殺人のための殺人です」。おぞましい限りです。

息子の誕生日に、生命の大切さを再確認させられます。と同時に、先が見えてきている我が身の生命が、「人生の午後から夕方へ~twilight time」を、ひしと実感してます。

もうこの世でなせることは、何なのか? 自分が、『人生最後に、やりとげたい』、いわゆる「自己実現」とは何か !? 考えれば考えるほど、悩みに陥っていきます。「青春の煩悶」ではなく、「朱秋の煩悶」なのでしょう。

私の生を、季節でいえば、「青春は遠く去り、紅葉の朱秋」です。窓の外は、夏真っ盛り。酷暑です。

2006年の夏は、梅雨明けが遅く、いまが夏の最高潮です。仙台も、今日の最高気温33度を超えたとのことです。でも、あと2週間もすると、秋の気配が忍び寄ります。

※写真は、12年前、大阪城の前で.このとき、彼の兄(2歳上)と一緒に、坂本龍馬の故郷高知と豊臣秀吉の居城大阪城へ、旅をしたときの想い出のものです.

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