生の究極は「禅」.
私の究極は、「禅」です。
30代初めに、『この世に生まれてきたこと、それ自体を憎悪してこの世を去っていく』という実存主義哲学のサルトル;Sartreの言葉に出会ったときは、ショックでした。
しかし、精神的・神経的に悩みのドン底にあって、森田正馬のサイコセラピー;精神療法を通じて、禅を知りました。30代後半でした。
それから、長い期間いろんなTPOで、「禅」との交わりがあります。『仙台禅道会』にも通っていました。
いまは、多賀城市の不麟寺(「りん」が難字で出てこないのであとで探します)で開催されたいますが、時間と距離のため通うことができないでいます。
私個人の菩提寺も、臨済宗妙心寺派 大慧山 定林禅寺に入らせていただきました。瑞巌僧堂(松島瑞巌寺)と円通院様のお導きでした。
もともとの久保家は、浄土真宗(親鸞)でしたが、親鸞の「歎異抄」は、当時なかなか理解できませんでした。いまは、かなり理解できます。
私には、「禅」の道です。それが、『生の奥義を、きわめるもの』との認識に、達しています。
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