「天職」・「命運」って、なんだろうか?
不是心;ふぜしん 不是佛;ふぜぶつ 不是物;ふぜぶつ
心にあらず、 仏にあらず、 物にあらず。
平生、煩悩・妄想にとらわれていないか? 生まれつきの仏性・清浄心は、いずれにあるか。
「この世に生をうけて、納得できる生き方ができてきたか?」というと、答えは簡単明瞭です。まったくできていません。
司法書士の職域としては、忙しいほうです。しかし、司法書士を生業(なりわい)にして20年くらいですが、不完全燃焼のことが多々あります。
また、司法書士の職域・職能では、事件の解決や依頼者のニーズ(求め)に応じられないこともあります。弁護士にバトンタッチしなければならない事件、弁護士と連携せざるを得ない事件が少なからずあります。
この1ケ月でも、友人知己が逮捕された刑事事件が2件ありました。親しい弁護士にお願いして、当職はそのサポート役でボランティア的活動です。
司法書士プロパー(固有)の仕事もかなりあります。不動産登記・会社登記・成年後見・破産多重債務・簡易裁判所代理権などなど・・・。
今日にあっては、『行政書士』も再登録します。以前も登録していましたが、司法書士会の役職などで手一杯でしたので、一度退会していました。再入会です。
仕事は忙しい。公私ともに多忙。公私の中間域、つまりビジネスでも、プライベートでもない、社交関係・交友関係もけっこうあります。
家族もいます。生活を支えていかなくてはなりません。年齢的なこともあります。体力の問題もあります。
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ですが、ここにいたって惰性で人生のファイナルカーテンをおろすわけにはいきません。
人生に納得できていないからです。
そうはいっても、能動的・積極的な職業活動・社会参加は、おそらくあと20年くらいでしょう。
人生の「序破急」でいえば、『急』、「起承転結」でいえば、『結』です.
季節にたとえれば、春夏秋冬の秋深しでしょう。
一日にしてみれば、人生の午後~夕方でしょうか?
私の生命・生存への課題は、残りの人生を「どう生きるか?」です。
「この世の生命の、最後にして最期をどう生き終えるか?」です。
『終の住処』(ついのすみか)といえる生き方はどうあるべきか?
禅に教えを乞いながら、日々煩悶しています。
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