深秋の街路樹.
深秋というか、もう初冬なのでしょう。
仕事で、仙台駅の近くの銀行に打合せに行ってきました。歩いて20分くらいです。
午前11時からのアポでした。少し前に行って銀行の担当課長とお客様ご夫妻と、2時間ほどの打合せをぶじ終えました。
ホッとして、ゆっくり事務所まで散歩がてら戻りました。20分ほど歩いたのでしょう。街並み、とくに宮城県庁前の街路樹と、近接する勾当台公園のもみじの紅葉が、小生の心に美しく投影されました。
哲学者カントはいつも歩きながら思索のヒントを得たと伝えられています。
カントの足元にも及びませんが、歩くとごく自然に想いがめぐらされてきます。
いま、自身の進路~ファイナルカーテンに向って~懊悩・苦悶しています。
体調もよくありません。胃・十二指腸~ああ、来月胃カメラで再々検査です~がかんばしくありません。医師の診断では、疲れとストレスとのことです。
右腕の故障と怪我も、予想以上にかかっています。治癒していません。左手・左腕で補っています。
さて、残された天賦の生命をいかにまっとうするか?
ジャン・ポール・サルトルが言うように、『この世に生まれてきたこと自体を、憎悪してこの世を去っていく』、それがごく自然な終焉なのでしょうか?
サルトルや、ゲーテ、ドストエフスキーは、いまでも好きです。敬意を抱いています。
されど我が身そのものになると、懊悩と苦悶のドン底です。
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