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お彼岸でした。



Posted in く・ぶろぐ (旧) blog before by kubox on the 3月 22nd, 2007

21日(水)は彼岸の中日です。「春分の日」で祝日です。

18日彼岸入りした「彼岸の中日」です。

配偶者の実家に、お墓参りを兼ねて遊びに行ってきました。
体調・ストレスも改善されつつあるので、羽をのばしてきました。

20日(火)配偶者と我が子は電車で先に行ってゆっくりしていました。
先妻の子(大学生)に留守を頼んで、夜、東松島市(旧 鳴瀬町)に1時間のドライブです。

その夜、尾形家(私の家族も含めて)一同、12人で食事と酒宴です。

女性軍~配偶者と兄嫁、弟嫁~の3人は、かなり遅くまで歓談していました。

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翌日、すぐ近くにある“大慧山 定林禅寺”に全員でお墓参りです。

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このお寺さんは、“松島 瑞巌寺”の直系です。禅寺では「法系」といいます。

松島 瑞巌寺は、正式名称を「松島 青龍山 瑞巌円福禅寺;しょうとう せいりゅうざん ずいがんえんぷくぜんじ」といいます。

臨済宗妙心寺派に属しています。
このお寺さんは、瑞巌僧堂という禅の修行道場がメインです。

※3代前の瑞巌寺 五雲軒老師(加藤隆芳 様)の石筆でしるされた定林禅寺の墓碑銘。瑞巌寺直系の証しです。その後、素雲軒老師(平野宗浄 様)、現 起雲軒老師(吉田道彦 様)です。

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開創は、平安時代ですが、歴史の波とともに歩み、伊達政宗に庇護を受け観光名所となるほどに絢爛豪華なお寺になりました。

寺には、70歳で逝去した伊達政宗の位牌が置かれた。そのため、子息 忠宗・妻 陽徳院・娘 天麟院などがあり、政宗の孫 光宗が西隣の円通院に祀られました。

その円通院のご住職が、私の高校の同窓 天野広道 先輩です。

当時、私は、懸命に禅の勉強をし、坐禅会にも参加していた頃です。

そこで、「私がこの世を去ってからの、終の棲家(ついのそみか)として、菩提寺をどこにするか」を天野先輩のご相談しました。
当時は、ある事情で円通院様では、檀家をとっていませんでした。
相談に快く応じてくださった先輩は、「お前は定林禅寺へ行きなさい」とお導びきくださったのです。
それが、『タマタマ』と言うべきか、『天の定め』と言うべきか、これを『運命』と呼ぶのでしょう、『配偶者の実家と同じお寺さん』になりました。

私の旧家は、親鸞の浄土真宗です。蓮如が「歎異抄」を著しています。
旧家は、長男である私の兄が継承していくことでしょう。

その頃は、親鸞や蓮如の考えに疑問を抱いていました。
いまは、五木寛之のおかげで、疑問は解けましたが・・・。

※定林禅寺は、昔、三分一所氏という豪族の三男が建立しました。

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※三分一所氏の三男一族の墓碑です。

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まあ、そんな経緯(いきさつ)で、配偶者の実家と同じく定林禅寺に参るのです。

天野広道 先輩のお導きのこの禅寺(定林禅寺)を、私は大いに気に入っています。

まさに、宿命的な「私の骨の埋め場所」なのです。

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070322thu.

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