「裁判員制度」の賛否!?[12.23.tue.]
「裁判員制度の正体」西野喜一 著(講談社 現代新書)を読みました。
また、ご本人が2週間ほど前か、日曜日のテレビ番組「たかじん;そこまで言って委員会」(日本テレビ)にも登場して、反対の理由を熱く語っておられました。
彼の主張なさっておられることは、ごもっともです。
この新しい制度には、かなりのリスクを伴います。
また、先週の金曜日(12月19日)のニュース(テレビ、インターネット、新聞)で、3名の裁判員候補者が実名と顔も出され公的な会見をなさり、『裁判員候補に選ばれたことを、拒否する』・『裁判員制度に抗議する』という旨の記者会見が報道されていました。
分からないことはない。 嫌な人には、たいへん迷惑なことなのでしょう。
ただ、それだけでよいのか?
2009年5月より、実施されます。
前述の西野教授(元 裁判官)のおっしゃることも、けっして頭から否定できません。
・違憲のデパートというべき制度。
・手抜きの審理が横行する。
・真相の究明が図られなくなる。
・巨額の税金がかかる。
・国のために、奉仕すべきという発想。
・冤罪の危険性はなくならない。
・・・などのご主張です。
裁判員制度を推進する側は、とくにこの意見に傾聴して進めていくべきです。
ただ、小生は・・・
「違憲のデパート」というほどではない。
「手抜き審理」と、初めから決めつけられるのでしょうか?
最善を尽くして、十全な裁判を進めればいい。
税金は、官僚や天下りのムダ遣いをやめて、『裁判への国民参加』という、有意義な遣い方には賛成です。
「冤罪に危険性」にしてもそうです。
これまでは、プロのみが関わっていたから冤罪の危険性は少なかったのか?
答は、明白に『否;いな!』です。
プロの[警察=検察=裁判官]にまかせっきりでいて、かなりの誤判と冤罪の蓋然性がありました。
このシステムは、一国民として信じられません。三者のほとんど無批判の刑事裁判の構図は危険きわまりません。
志布志事件しかり、御殿場事件しかり、です。
西野先生は、「私が被告だったら、裁判官に裁いてもらう」と述べておられました。
私は、そこまでプロの裁判官を信じてはいません。
国民参加です。 エリートで固められた 『司法の中枢』 に、主権者(一般国民)の判断も取り入れようというのです。
「いやだ!」と、拒んでいる方は裁判員にならなくてかまいません。
小生が被告の場合は、裁判員制度で裁いてもらいたい。
081223sun.