仙台 司法書士 久保徳高 く・ぶろぐ~ blog & HomePage


“尾形園芸”です。



Posted in く・ぶろぐ (旧) blog before by kubox on the 3月 23rd, 2007

配偶者の実家です。(有)尾形園芸といいます。
東松島市(旧 鳴瀬町)野蒜にあります。

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しかし、「サラリーマンでは、先が見えている。花が好きだ」ということで、会社が休みの日、花造りをし、それをリヤカーで売って歩いたそうです。
その花売り(鉢花)が、好評でした。

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会社をやめ、自身の本家に頼んで、本家から野蒜の小さな土地を貸してもらいました。
それが尾形園芸の始まりです。

いわば、「文無しでの出発」・「裸一貫からのスタート」でした。

※花が咲く前の、鉢です。

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配偶者は、石巻の製紙会社の社宅(長屋)で生まれ、3歳の時に父親が製紙会社を辞め、鳴瀬町野蒜で花造り(鉢花・花卉)を始めたということです。

それから39年の月日です。鉢花・花卉(かき)などの運営・経営はけっして順調ではありませんでした。
つらい時・厳しいもあったようです。
植物ですが、『花』は、生き物です。

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配偶者から聞くところ、「家計は厳しかったけど、両親が一生懸命働いている姿が、心の支えだった」と、語っています。

それを乗り越えて、いまは17もの園芸ハウスで、おもにシクラメン・ペラルゴニュームを中心に花の製造・販売に精をだしています。

「花の製造は、それほどの儲けはないんだよ」と言いながら、“趣味と実益の39年”です。しんどかったけど、生きがいを持って商いができたようです

もう古稀;70歳ですが、現役です。元気に働いています。

※直売もしています。

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(有)尾形園芸そのものは、長男夫婦に経営権を代替わりし、二男夫婦も戻ってきて、新たな体制が整いつつあります。

岳父自身は、まだ新しい花造りに夢を持っているようです。
70歳でいまなお意欲満々です。トラックを運転して、DIYや量販店に花を納品しに行っています。

幾度となく農林大臣賞・農水大臣賞をいただき、多くの園芸農業の研修生・農業後継者・転農者を育ててきました。

尾形園芸に行くと、いつも苗鉢や開花した鉢花で咲き乱れています。
まさしく、壮観です。

初めて行ったとき、その美しさに目を見張りました。フリーズしてしまったのを覚えています。
花の絨毯(じゅうたん)なのです。

※花の種類は、シクラメン・ペラルゴニューム・カザニア・テルスターなどです。

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お彼岸でした。



Posted in く・ぶろぐ (旧) blog before by kubox on the 3月 22nd, 2007

21日(水)は彼岸の中日です。「春分の日」で祝日です。

18日彼岸入りした「彼岸の中日」です。

配偶者の実家に、お墓参りを兼ねて遊びに行ってきました。
体調・ストレスも改善されつつあるので、羽をのばしてきました。

20日(火)配偶者と我が子は電車で先に行ってゆっくりしていました。
先妻の子(大学生)に留守を頼んで、夜、東松島市(旧 鳴瀬町)に1時間のドライブです。

その夜、尾形家(私の家族も含めて)一同、12人で食事と酒宴です。

女性軍~配偶者と兄嫁、弟嫁~の3人は、かなり遅くまで歓談していました。

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翌日、すぐ近くにある“大慧山 定林禅寺”に全員でお墓参りです。

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このお寺さんは、“松島 瑞巌寺”の直系です。禅寺では「法系」といいます。

松島 瑞巌寺は、正式名称を「松島 青龍山 瑞巌円福禅寺;しょうとう せいりゅうざん ずいがんえんぷくぜんじ」といいます。

臨済宗妙心寺派に属しています。
このお寺さんは、瑞巌僧堂という禅の修行道場がメインです。

※3代前の瑞巌寺 五雲軒老師(加藤隆芳 様)の石筆でしるされた定林禅寺の墓碑銘。瑞巌寺直系の証しです。その後、素雲軒老師(平野宗浄 様)、現 起雲軒老師(吉田道彦 様)です。

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開創は、平安時代ですが、歴史の波とともに歩み、伊達政宗に庇護を受け観光名所となるほどに絢爛豪華なお寺になりました。

寺には、70歳で逝去した伊達政宗の位牌が置かれた。そのため、子息 忠宗・妻 陽徳院・娘 天麟院などがあり、政宗の孫 光宗が西隣の円通院に祀られました。

その円通院のご住職が、私の高校の同窓 天野広道 先輩です。

当時、私は、懸命に禅の勉強をし、坐禅会にも参加していた頃です。

そこで、「私がこの世を去ってからの、終の棲家(ついのそみか)として、菩提寺をどこにするか」を天野先輩のご相談しました。
当時は、ある事情で円通院様では、檀家をとっていませんでした。
相談に快く応じてくださった先輩は、「お前は定林禅寺へ行きなさい」とお導びきくださったのです。
それが、『タマタマ』と言うべきか、『天の定め』と言うべきか、これを『運命』と呼ぶのでしょう、『配偶者の実家と同じお寺さん』になりました。

私の旧家は、親鸞の浄土真宗です。蓮如が「歎異抄」を著しています。
旧家は、長男である私の兄が継承していくことでしょう。

その頃は、親鸞や蓮如の考えに疑問を抱いていました。
いまは、五木寛之のおかげで、疑問は解けましたが・・・。

※定林禅寺は、昔、三分一所氏という豪族の三男が建立しました。

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※三分一所氏の三男一族の墓碑です。

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まあ、そんな経緯(いきさつ)で、配偶者の実家と同じく定林禅寺に参るのです。

天野広道 先輩のお導きのこの禅寺(定林禅寺)を、私は大いに気に入っています。

まさに、宿命的な「私の骨の埋め場所」なのです。

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このメンツでの「飲み会」は、初めてでした!



Posted in く・ぶろぐ (旧) blog before by kubox on the 3月 20th, 2007

このメンツでの「飲み会」は、初めてでした!

会場は、河童亭(かっぱてい)~大学の先輩である神永久雄さんがオーナーのお店です。仙台では老舗です。

仕事の関係で、不動産会社・宅建業者(仲介)・測量士・司法書士、そしてそのスタッフ7名での、飲み会でした。

途中から、河童亭(かっぱてい)のオーナー神永久雄先輩が加わって、8人でハイテンションになってしまいました。

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このメンバーでの飲み会は、これが最後かもしれません。
不動産会社の方が、本体のゼネコンに異動なさるための“ごくろうさん会”でした。

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6時から9時半まで、ここで一次会です。
ところが、私以外は、二次会・三次会、さらには四次会まで行ったそうです。

私は、前日に胃の診察と検査をしていましたので、ホドホドに帰宅というところでした。

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しかし、世の中はそんなに甘くない。
帰宅したら、大学生の我が子から、「相談がある」とのことで、また一緒に飲み直してしまいました。

節酒、たまに禁酒を真剣に考えなくてはなりません。

厳しく、ハンセ~イ!!

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Good-by!キリン・スポーツクラブ.



Posted in く・ぶろぐ (旧) blog before by kubox on the 3月 20th, 2007

22年間通ったスポーツクラブ“キリン・スポーツクラブ”のオーナーが変わりました。
それに伴い、㈱北沢バルブ系列会社の“キッツウェルネス仙台”と社名・クラブ名が変更になります。

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噂は、昨年から潜行化して出ていました。この、年度替りで、表看板も塗り替えになります。
運営内容は、ひとまずこのままを維持していくようです。

とはいえ、22年間通った“キリンSP”の看板がなくなることは、一抹の寂しさを覚えます。

でも、いまのところ、我が家族ではスポーツクラブを乗り換えることは考えていません。
このまま通い続けるつもりです。

今週日曜日(18日)午前中も、我が子と二人で行ってきました。いい汗をかいてきました。

スカッシュは、23歳の滝沢くん(スタッフ)と、ラケットボールは我が子やヨシミツくんとプレイでき、リフレッシュできました。

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仙台経済界のトップのお一人 西井弘さんともお会いでき、高校の先輩ウチナミさんともお会いでき、スポーツだけでなく、楽しいひと時でした。

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また、郡山市からひさびさにスカッシュをするため本山さんがおいでになっていて、お会いでき、話をしたり、写真を撮らせていただきました。
本山さんは、遠藤さんとプレイなさり、その後、学生のツワモノ2―3人とプレイなさっていました。
このスカッシャーの腕前は、みなさん上級クラスです。

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私は、年齢的なこともあり、もう「遊びのスカッシュ」です。

キリンビールも、企業としての経営方針の転換なのでしょう。
本来の事業であるビール中心の飲料事業に再び特化・集中していくものと見受けられます。

各企業が、その方向性にある時代です。
旧来のように多角経営の時代は、終わりつつあるようです。

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哀悼!池田晶子さん。



Posted in く・ぶろぐ (旧) blog before by kubox on the 3月 17th, 2007

哲学者の池田晶子さんが、逝去なさった。享年46歳。
うっかりしていて、お亡くなりになったニュースを見逃していました。
mixi友だち、マイミクの和さん(名古屋)の「日記」で教えていただきました。

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まさしく「千の風になって」です。
和さんも、そう述べておられます。

「不死身の女性哲学者だ!」と、信じていました。
『哲学の巫女』とも称せられていました。

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昨年か、「お父様がガンでお亡くなりになった」と、何かで目にしていました。
彼女も不死身ではなかった。早世過ぎるよ!

本名が[伊藤晶子]さんで、ご主人が[伊藤實;みのる]さん。
著作を読んでいて、ご主人のことは出てこなかったように記憶しています。
別に意味はないけど・・・。独身かと思っていました。

平成19年2月23日午後9時半、腎臓ガンのため逝去なさったとのこと。惜しまれます。

彼女の大ファンでした。
彼女の哲学エッセイから、どれほど勇気を与えられたことか。
気が滅入っていたとき、鬱のとき、ふと死にたくなったとき、ストレスから立ち直れなかったとき・・・etc,

残された著書を通して、永遠(とわ)に私を指導・教示してください。

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これらのほかにも、読了済み・未読を含めて、数冊を所蔵しています。
人生において、生きていくうえでの指針です。

合掌。

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