東洋ワーク㈱須佐社長ご母堂とのお別れ。[7.12.sat]
7月1日(月)東西会がありました。
公私ともに親交いただいている須佐尚康 東洋ワーク社長もご出席して、楽しい会合でした。
ところが、この会合の途中、須佐社長がひんぱんに電話での応対に追われていました。
半分ほど、中座の状態でした。
須佐社長が戻られてから、臨席の私が、「社長、何かあったのですか?」と問いかけたところ、「入院中のおふくろの様態が悪いっていうんだよ」とのことです。
「この東西会が終ったらすぐ病院へ行くけど、なんせ90歳だからね。何があってもおかしくないよ」と、おっしゃっておられました。
7月9日の地方紙の朝刊に、お母様の死亡公告が掲載されました。
8日に他界されたとありました。
実家の会津若松の隣町 金山町で近親者のみにて密葬とのことでした。
告別式は7月12日に仙台鹿野の葬祭会館で執り行われました。
金山町長もご出席され、弔辞をささげられていました。
私も参列させていただき、四十九日・百ケ日の法要も出席させていただき、その後の法要会席にもお招きいただきました。
満90歳であられます。
ご主人とともに満州にも渡られ、須佐社長のお兄様お二人を戦時中の混乱期に亡くされています。
しかし、長女・三男(須佐社長)・四男・二女を立派に育てられ、みごとな人生とお見受けいたします。
葬儀も、東洋ワーク株式会社と須佐家との合同葬で、仙台の経済界・政界など各界のトップの方々からご出席・弔電・花輪などがありました。
私の友人知己の方々も、数多くご参列なさっておられました。
弔電も、宮城県知事・仙台市長・商工会議所会頭など、一流の方々のお悔やみが奉読されました。
故 須佐イマ子様、謹んで、ご冥福をお祈りいたします。 合掌
080713sun.
我が子の、急病の治癒。[7.11.fri.]
我が子が、先週 金曜日(4日)の夜から「ジンマシン」を発症しました。
ここ数年、病院にはかかったことがない元気な子です。
翌朝(5日・土)の朝から、嘔吐・下痢・強い激痛・血の気が引くという急な症状が出ました。 早朝だったので、救急車を呼び、仙台医療センターで点滴とお腹の薬でひとまず沈静しました。
その後、小児科が開院時間になったので、かかりつけの小児科医に行きました。
風邪と胃腸障害ということでした。
※丸山クリニックでの採血で、マイコプラズマを発見しました。
ところが、夜(5日・土)にまたすごい「じんましん」が発症し、救急病院に行きました。
注射と投薬です。
で、翌朝(6日・日)に、顔がパンパンにむくみ(浮腫)、まだ不調でした。
再度、北部救急病院に駆けつけ、お薬をいただきました。
翌日月曜日(7日)、近くの皮膚科で診察していただきました。
「 じんましん が、内臓にもきたための、急激な症状だったのでしょう」との診察でした。
5人の医師にかかって、5人5様の診断です。 そこで、切り札の6人目となります。
「 じんましん」のこともあり、私の信頼する丸山アレルギークリニックで、金曜日夕方に診察していただきました。
採決の結果、マイコプラズマ菌も見つかり、それ以外のアレルギー系の治療もしていただきました。
合計6人の医師に診察いただいたことになります。
私の信頼する医師で、落ち着きを得ました。
また、皮膚科の先生(花田女医)がおっしゃったことが、あの急激な症状を言い当てていたようです。
丸山先生も、「そうだったろうね」と、うなずいておられました。
まずは、大事に至らなくてホッとしました。
丸山先生からは、漢方薬と頓服を処方していただき、またカラー療法・音叉療法なども勧めていただきました。
※普段からの健康療法。
080711fri.
オフィス近くの銀行の大会合。[7.11.fri.]
当職のオフィス近くに、私のふるさと盛岡に本店がある、北日本銀行の二日町支店があります。
その親睦会があり、私も1会員です。
その銀行は、仙台・塩釜地区に10店舗ほどがあります。
会員数も多く、会場は国際ホテルでした。
仙塩地区10店舗ほどが、合同での「頭取による講演会」と「大懇親会」でした。
そうとうの参加者でした。
※佐藤頭取の経済講演会。
ここ数年、頭取の講演会は開催されています。
とくに頭取は、金融・株式情勢・経済情勢・地元岩手の商業圏、岩手・宮城の地域経済などに、お詳しい方です。
私は、先日子どもが急病にかかった件で、もっとも信頼できる医師の診察があったので、それを終えて急遽かけつけました。
※ジャズの、ボーカルと生演奏です。
この銀行の懇親会会場で、屋代光一先生、ソフトエイジ我妻社長、司法書士仲間の阿部嘉弘ちゃん、司法書士の海村先生、和田さん、津田さんなど7-8名の知人にお会いできました。
また、二日町支店のスタッフ高橋さん、大友さんも、我が子の診察結果を心配してくださいました。 ありがとうございます。
支店長の小野寺さんにもご配慮いただきました。
※友人の阿部ちゃん、屋代光一先生、石塚仙台支店長、小野寺二日町支店長、松本常務、我妻社長・・・楽しい会合でした。
また、石塚 仙台支店長とは、先日 『東京六大学の新春会』 でご一緒させていただきました。 彼は早稲田、私は明治です。 石塚さんとは、小学校・中学校とも同窓です。
また、常務の松本さんとは、桜城小学校の同級生(同じクラスメート)です。
佐藤安紀頭取(63歳)とも、桜城小学校・下の橋中学校までは、同窓です。
もっとも私の場合は、中学校の途中で、父の転勤で仙台に転校しましたが。
我が故郷 盛岡に想いをはせ、下の橋協会いずみ幼稚園・桜城小学校・下の橋中学校を想起し、楽しい夕べでした。
080711fri.
”日弁連法務研究財団;JLF”が、10周年。[7.8.wed.]
”日弁連法務研究財団;JLF”(Japan Law Foundation)が、創立10周年を迎えました。
日本弁護士連合会により、日本の民事訴訟法学の泰斗 新堂幸司 先生(東京大学名誉教授)を中心として設立されたものです。
法科大学院適性試験(LSAT;Law School AdmissionTest)を初め、法学検定試験、法学既習者試験などを実施しています。
さらに、司法制度の改革・研究などにも、意欲的に取り組んでいます。
著作物・書籍も、独自のものや商事法務研究会とタイアップしたものなど、多数出版されつつあります。
※法律関係の、ものすごい頭脳集団です。
私も、7-8年前ころ、盛岡市で司法書士会東北ブロックの講演会で、新堂幸司先生の講演を拝聴してから、即、入会して今日に到っています。
※小生のJLF会員証です。
これまで、仕事・役職・社交・私事などにかまけて、いわば幽霊会員みたいな存在でした。
しかし、心機一転、ここで法学検定試験、来年の法科大学院適性試験など、日弁連法務研究財団と身近かに関わっていく決意です。
『自分が、この世に生れてきた存在意義』 を考えさせられると、どういう因果か、とにかく法律(司法書士)で米塩の資を得させていただいてきました。
生きた証しを、残りの人生にすべて賭けてみます。
今一度、否、今度こそ、真剣に法律の勉強に精励してみます。
※設立10周年記念の“JLF NEWS”は、No,37を数えています。
080709wed.
これから、またガンバルのだ![7.9.wed.]
まだ、やれます。できます。
先般は、多忙から勉強時間の確保ができす、また精神的・身体的に絶不調でした。
しかし、このまま人生を終焉できません。
今年は、時間が確保できませんでした。 仕事・社交・私事・役職などなど・・・、多忙を極めました。
しかし、捲土重来・七転び八起き・起死回生~で、“Never give-up!!”です。
医師の丸山修寛先生のおかげで、心身も快復してきました。 不安神経症・鬱症状からも脱却です。
仕事も、スポーツも、空手(武道)も、勉強も、リセットして励みます。
「虚心坦懐」・「恐怖突入;森田療法の教え」・「破格自在・融通無碍;一休宗純の教え」「心身脱落;禅の教え」etc,
丸山医師の指導による、“曼荼羅”・“水素水”・“カラー療法”・“音叉療法”なども、次第に効果が現われてきました。
「1ケ月から3ケ月で、効果が出てくる」と、言われていました。
5月8日からなので、およそ2ケ月が経過したのです。
そろそろ、我が人生をリセットして再出発です。
禅の教えは、『世俗のことを、すべてすてよ!』
『無』(注釈;なにもない無ではありません。誤解している方が多いので、ご注意いただきたい。有無を超越した無なのです)からの、出発なのです。 その『無』・『無心』が、大切なのです。
『一日一日・日々刻々・こここの場限り・今だけ・入りきる・なりきる』という、禅の教えです。
励行・尽力するしかありません。生きている限り、一刻一刻が修行なのです。
080629sun.