今シーズン、初めての風邪。[3.6.wed.]
この冬は、ほとんど風邪らしい風邪をひきませんでした。
以前は、ひんぱんに風邪をひいて、かかりつけの内科医にかかっていたのですが・・・。
配偶者も、「今年は、風邪だと言って、病院に行くことがないね」と、言っていたのです。
が、油断大敵。
3月4日の夜から、風邪気味の兆候が現れてきました。
そういえば、4日(火)の来客に、「風邪をひいたんですが、だいぶ治ってきました」という方がいらっしゃいました。彼からうつったのかな?男性客なので、キスはしていません。もちろん!
※医師からいただいた、風邪薬3種と咳止めの粉薬です。
翌朝(5日;水)が、一番最悪の病状でした。
寒気・倦怠感・頭痛・くしゃみ・咳・痰・咽喉の痛み・鼻水などなど、風邪の全症状が現われました。
しかし、この日は朝一番で来客があり、不動産登記と成年後見の仕事が入っていたのです。事務所は休めません。『朝一で、病院に寄ってから出勤』というのも、不可能でした。
仕方なく、サプリメントなどを飲んで、まず出勤して仕事をこなしました。
昼食を食べるなどという食欲も性欲もありません。
※しょうが湯で体を温め、のど飴(鼻・咽喉)で症状を抑えました。このほかにも、3-4種の精力のつくサプリメント(マカ・にんにく・ビタミン・コエンザイムQ10)などをたっぷり摂取しました。
『これだけは、今日中に』という仕事を片付けて、午後4時半頃に、ようやくかかりつけの内科医のクリニックに駆け込みました。
でも、そのころには、かなり風邪の諸症状は改善されていたのですが・・・。
寒気はありましたが、熱もおちついていました。
咳も痰も頭痛も、軽くなっていたのです。
問題は、風邪のせいか、精神的に鬱(うつ)状態に陥ったことです。欝のためか、つらいものがありました。
医師から診察していただき、「まあ、軽い風邪だね」ということで、頓服を3種類いただいて一件落着です。
習慣化していることですが、配偶者に「病院に寄って、生協に寄って、今日は早く帰る」旨を伝え、帰途にある生協で買い物をし、帰宅しました。
栄養のあるものとアルコール(ビールとウィスキー)を摂って、早く寝付いたのです。
今朝(3月6日)は、まだちょっとだけ咳・咽喉の症状があったので、ゆっくり出勤となりました。
080306thu.
第7回 東京六大学 宮城校友の会。[2.29.fri.]
2月29日」(金)午後6時から、“第7回 東京六大学 宮城校友の会 新春の集い”が開催され、参加してきました。
※会場内の各大学の校旗。慶応は、とくに創立150年の横断幕を掲げていました。
会場は、仙台国際ホテルです。
※各大学の受付風景。
第7回ということは、6大学が順番に当番校だったので、1順して第1回当番校(幹事校)に戻ったということです。
提唱した大学が、早稲田大学だったので、今回は、幹事校が早稲田大学でした。
※早稲田大学校友会会長の挨拶風景と、司会の早稲田OG藤村由紀子さん(宮城テレビ アナウンサー)。
参加者も、早稲田が一番でした。
参加者数です。 合計で、243名でした。
内訳は・・・。
早稲田大学が、64名。 法政大学が、38名。 慶応義塾大学が、29名。 立教大学が、48名。 東京大学が、16名。 我が明治大学が48名でした。
※多くの知り合いの方々に、大学の相違を超えて、懇親させていただきました。
大学の枠を越えて、多くの知合いにお会いできる機会に恵まれました。
今年は、閏年(うるうどし)なので、2月が29日まであります。
2月最後の日です。 楽しいひとときでした。
※会場の国際ホテル。隣りのSS301階ではスポーツクラブで、汗を流している方が、多くいらっしゃいました。
080229fri.
事務所近くの銀行の親睦会。[2.21.thu.]
当職の事務所近くの銀行(北日本銀行 二日町支店)の親睦会でした。
私も、岩手県盛岡市出身なのです。
北銀も、盛岡に本店があります。
二日町支店親睦会の定時総会があり、その後講演会があり、最後が懇親会です。
私は、仕事の都合上、懇親会だけ出席させていただきました。
会場は、ホテル仙台プラザです。
親しくさせていただいている、川原悟弁護士・川原眞也弁護士・屋代光一前市会議員・ソフトエイジの我妻社長・あがつま社長(会社名失念、ごめんなさい)・ほんまサン・福祉関係の生方さん・相江屋さんらと、お会いでき歓談できました。
前任の刈屋支店長の後任者の小野寺支店長はもとより、仙台支店長の石塚恭路さんも来賓でいらっしゃいました。
石塚支店長、佐藤安紀頭取とは、盛岡の桜城小学校の同窓です。
※木町通交番からの巡査部長の防犯対策の講演でした。
080221thu.
スポーツクラブのRBが廃止されます。[2.19.tue.]
私の通っているスポーツクラブのRB(ラケットボール)が廃止されます。
反対意見も考慮して、暫定的に1年だけ、継続するようです。
※いつも親切にラケットボールを教えてくれたウチヤマくんとユウタくん。
現キッツ・スポーツスクエア仙台になったのは、昨年(2007年)4月からでした。
元スポーツクラブのオーナーであるキリンビール子会社(キリンスポーツクラブ仙台)が、営業譲渡したのです。
今のオーナーは、北沢バルブ㈱です。
東北でのスポーツ・レジャー関係は、初めての進出です。
1年近く経って、スポーツクラブの様相は次第に変貌しつつあります。
いろんなプログラムも変わりました。
以前からのスタッフは、どんどんやめていってしまう状況です。転勤となった方もいらっしゃいます。
※タクザワくんとも、なんどもプレイしました。
※SQとRBのラケットを手にしています。どちらも、それなりに面白いスポーツです。
私にとって、大きな問題は、なんと『ラケットボールコートが、廃止される!』ということです。
24年間も、慣れ親しんでプレイしてきたにもかかわらず、悲しい・辛い出来事です。
ラケットボール同好会の方々が中心となって、存続を求めています。
2面あったRBコートのうち、『1面のみを、1年間に限り残す』ということで、クラブ側との妥協がはかられました。
24年前に、キリン・スポーツクラブがオープンしたときは、なんと6面のコートがあったのです。
7-8年ほど前から、4面減となり、今は2面を残すのみでした。
その2面も、風前の灯火(ともしび)です。
ただ、支配人(高校の後輩)ほりごめクン(42歳)や、アスレチックのチーフうちやまクン(40歳)に伺ったところ、「ここ数年、ラケットボールコートの稼働率が下がり、現時点では30%ほど」、とのことです。
『企業の論理』・『経営の論理』・『儲けの論理』からすれば、ボランティアのスポーツクラブではないので、やむをえないのかもしれません。
悲しく辛いものがありますが、残念です。
なぜ、こんなにRBの競技人口~少なくても仙台において~が、激減したものか、不可解です。
こんなに面白く・激しいスポーツです。
※最後の1年間を、RBします。
スカッシュのほうは、学生のサークルも利用していますし、現段階では4面のSQコートに異動はないそうで、ホッとした次第です。
あと1年、一所懸命(まさに『一所』です)RBを楽しんで、汗を流していくつもりです。
その後は、いまからバドミントンへの復帰をめざして、息子と社会人のバドに転化していこうと企図しています。
いま、24歳の息子が、社会人のバドミントンで楽しんでやっています。
スカッシュとバドミントンで、活き残ります。
この1年は、ラケットボールも、最後の1人までプレイしていきます。
080219tue.
大都会、多民族国家。[2.15.fri.]
ブラジルは、多民族国家です。1822年の独立です。独立後、まだ200年経っていません(186年)。
国家の正式名称は、“ブラジル連邦共和国”です。
日本は、江戸時代です。徳川家斉の時代で、伊能忠敬や杉田玄白、塙保己一が活躍していた時代です。
首都は、ブラジリア。
国土は、日本の約23倍。南米の半分がブラジルです。人口が、およそ1億9000万人です。
言語は、ポルトガル語です。宗教は、カソリック教(キリスト教)。
サンパウロ市が、南米最大の都市で、11千数百万人です。
私は、サンパウロしか見聞していませんが、同都市にしてしかり。
多民族にあふれる街です。
ブラジルの、解説書・取説を読んでも同様です。
街を歩いていて、バードウォッチングならぬマンウォッチングが楽しい。
こちらは、好奇心旺盛です。
白人・黒人がたくさんいらっしゃいますが、白・黒という範疇には単純に分けられません。
白人にも、多種多様の肌のかたがおられます。
黒人にしても、真っ黒から薄めカラーから、多彩です。
人種のコーカサイド、ネグロイド、モンゴロイドなどは、ほとんど血が混じっているような印象です。
民族は、もう数えきれないでしょう。
モンゴロイドである黄色人種もたくさんいらっしゃいますが、日系なのか・朝鮮(韓国)・台湾(チャイニーズタイペイ)・中国なのか、はたまた混血なのか、皆目見当がつきません。
その中間色人種・民族が、数え切れないほどいらっしゃいます。
パステルカラーの肌も多い。
それでいて在住の方が口を揃えておっしゃるには、「アメリカ、オーストラリアと違って、人種・民族差別がない」という素晴らしい事実です。
身長の高い人、逆に低い人。メタボリック系のかなりの太目の方、やせている方。
人種・民族の坩堝(るつぼ)です。
※超高層ビルと、カソリック寺院と廃墟化したビルなどが、雑然としつつ独特の街並みを創っています。
080215fri.