配偶者の祖母(母方)の急逝。[‘07.9.17.mon,]
今朝がた、訃報が岳父より入りました。 配偶者を、子どもの頃から可愛がってくださった方なそうです。
配偶者は、涙を流す余裕もなく、さっそく実家と連絡を取り合い、通夜・告別式等々への参席の準備に追われました。
仙台から、2時間半以上、北にのぼった海沿いの町です。 北上町の十三浜というところです。
風光明媚なところですが、なにしろ遠い処です。
配偶者の父母は、すでに北上町に行っているので、実家のある東松島町の兄弟家族と打合せをして出かけました。
私と子どもは、仕事と学校があるため、弔電・香典にとどめさせていただきました。 留守番です。
そこに前妻の子(大学生)が、「バドミントンのラケットとウエアが欲しい」とのことで、3人で、“ラケットショップ広瀬”に出かけました。
お店には、ちょうど旧知の山並さんや古橋さんがいらっしゃって、我が子のラケットとウエアを購入できました。
山並さんと、東日本学生バド選手権のことや、小中高のバドの試合が今度開催されることなど、また、スカッシュ・ラケットボール・空手などの歓談ができました。
彼が、バドミントンで宮城県の第一線で活躍していた頃、私は山並さんのファンのひとりだったのです。
070917mon.
刑事法の団藤重光先生 [study]
私の学生時代、刑事法分野で最も人気があり、評価も高かった東京大学教授がいらっしゃった。 1913年にお生まれの、団藤重光先生です。
いまは、名誉教授です。肩書きは、あふれています。
刑法、刑事訴訟法では、第一人者でした。 その後、弟子の刑事法の先生方が、大活躍なさっている。
また、刑法を勉強していて何度も出てくる団藤先生のことが懐かしくなりました。
いままさに必要としている「法学の基礎;改訂版」も90歳(2003年)に出版なされ、94歳の本年(2007年)5月10日に第二版を出版されている。 驚異的な活躍としか言いようがないほどです。 94歳にして、「現役」なのです。
「刑法総論」(1990年第3版・2006年その8刷)を出版されておられるのです。 そこで、Amazonから、購入いたしました。
いま、「刑事訴訟法」も改訂中ということで、学問への情熱と真摯さには、ただただ頭が下がります。
エッセイも執筆され、「わが心の旅路」(1986年)、「新装版;この一筋につながる」(2006年)などがあります。 拝読させていただきました。
94歳で活躍される団藤重光先生に、心から敬意を表しつつ、刑法・刑事訴訟法のテキストは座右に置かせていただき、ときに参考書として利用させていただきます。
070912tue.
アンチ-エイジングというレジスタンス(抵抗) [diary]
かつて、日本経済新聞や河北新報に、男性化粧品で、しかも『アンチ‐エイジング;anti-agingの化粧品が、売れ行き好調だ』という記事がありました。
売れ筋としては、アラミス;ラボ シリーズが一番人気としてあげられていました。
小生も、50代後半です。 あまり化粧品は使ったことがないのですが、「これも、我が子のため・・・」と、アンチ‐エイジングを試みることにしました。
初めは、アラミスを試用してみました。 しかし、アラミスは、販売店が遠いためなかなか行けません。
※化粧水、髭剃りあとに使います。フェイスクリームとヘアートニックです。
5番手くらいに掲載してあった資生堂にすることにしました。 理由は、大好きな篠原涼子がCMに出ているからです。
調べたところ、通常の資生堂チェーン店では販売していませんでした。 私の事務所からは、三越の資生堂が一番近い。
思い切って買いに行ってみました。 去年のことです。 少し、効果が出ているのかもしれません。
資生堂メン・シリーズです。
親しくさせていただいているポーラ化粧品の会長にもそのことを言ったら、「今度、うちの化粧品もプレゼントしますよ」とおっしゃったまま、そのあとがありませんでした。 多忙な方なので、お忘れになっていらっしゃるのでしょう。
メン・シリーズは、仙台三越の資生堂コーナーで、クマガイくんとニレイくんが親切に応対してくださいます。
※いつも笑顔で応対してくれます。ニレイくんです。美人で親切な女性です。なんか、化粧品の特別な「資格」をお持ちでした。→ 「資生堂メーキャアップクリエーター」・「厚生労働省認定 資生堂技能検定1級」をお持ちでした。あとで、調べて分かったことです。また、彼女は資生堂のホームページにも顔写真入りで掲載されています。
化粧品以外にも、サプリメント、目薬、スポーツ障害対策・・・、などなどいろいろ試みています。 ×イチ(ばついち)なので、配偶者も15歳年下で子どもも小さいので、少し若々しく見せようと、見栄をはっています。
話は変わりますが、そういえば、今日は先妻の子(長男)の誕生日でした。
3626グラムで産まれてきました。 1982年(昭和57年)9月6日でした。 これで、25歳になります。 10年以上会っていません。 寂しいかぎりですが、やむをえません。
二男は、3198グラム、1984年(昭和59年)8月4日でした。
いまの子が、2930グラムです。
子どもの誕生の時の体重って、忘れやすいのです。 記録しておきます。
070906thu.
岡山市の羽場頼三郎さん [diary]
8月28日に、急に当職の事務所に電話が入りました。 私は、接客・打合せ中だったので、配偶者に出てもらいました。
ひさしぶりに、岡山市の羽場さんからの電話です。 東京での学生時代からの親友です。 いま、岡山市議会議員をなさっています。
以前は、菅直人さんの秘書(東京)と、その後故郷(岡山)に帰り江田五月さんの秘書もなさいました。
彼は、早稲田大学で、小生は明治大学です。 旧 ベ平連関係で一緒でした。
二人とも司法試験をめざしていながら、落武者となってしまって今日に到っています。
30数年間の付き合いです。 まさに、「光陰矢のごとし」です。
そこで、電話の内容は、「いま札幌に視察に来ている。明日、秋田市に入ってから、夜に仙台入りする」というのです。
29日(水)の夕方、再会しました。5-6年ぶりの再会です。
1時間弱しゃべりまくって、彼は視察市議団(14人)と会食でしたので、別れました。
※秋田「福乃友酒造」の原酒です。
おみやげに、秋田の美味しい原酒をいただきました。 羽場さん、ごちそうさまでした。
夕食時、一気に飲み干してしまい、翌朝ちょっと二日酔です。 ですが、友情に裏づけられたお酒は、また格別のアジワイがするのです。
しばらく、休肝・禁酒します。
070830thu.
急遽、山形で取引でした。[diary 8.29.wed,]
過日19日(日曜日)の午前中、自宅において携帯電話がなりました。 懇意にさせていただいているTW社の社長からでした。
「久保クン、山形にいってくれ!」との依頼です。「 詳細は、翌月曜日にTW社のS嬢からと、火曜日に仲介のH氏から資料が届く」とのことです。
何がなにやら分かりませんでしたが、とにかく資料を見てやります」と返事をしました。
その社長は、本社は仙台ですが、電話をくださったときは、「海外に出かけるため成田空港(千葉県)のホテルにいる」とのことでした。 どこに出かけるのかというと、なんとフィンランドです。 9月3日に帰国するとのことです。
※山形自動車道。蔵王連峰が望めます。 ※ホテルのラウンジと、銀行での決済。
もう、10数年のおつきあいになります。 仕事でも、プライベートでも、お世話になっている方です。
月曜日に担当の秘書の方と打合せをし、資料をいただき、準備開始です。
8月29日(水)に、朝9時半に山形に出かけました。 決済場所は、メトロポリタンホテルのロビーと、山形のS銀行です。
協力を仰いだ山形のM司法書士事務所(新しくされた事務所で、広くて清潔な合同事務所です)にも立ち寄りました。
山形市役所で、必要書類を徴求し、山形法務局にも行き不動産登記簿謄本(全部事項証明書)を交付していただき、登記官と2-3の打合せをしました。 仙台の法務局(登記所)と扱いが異なることがあるからです。
※山形市役所での必要書類集め。
※強力いただいた司法書士M先生。
山形地方法務局。 「年金記録確認第三者委員会」が新たに設置され、取材のためプレス(マスコミ)も数社来ていました。
資料だけでは分からなかった5-6点もクリアできました。 本人の意思確認も大丈夫でした。
途中、フィンランドにいらっしゃるTW社の社長からにその会社の秘書に電話が2回入り、秘書のS嬢からも2-3回私宛に電話があり、連絡しあいました。
ぶじ、3時近くに終わり、4時には当職の事務所に戻りました。
仙台と山形間は、山形自動車道と高速道路を使うと、ドア・ツー・ドアで1時間の移動時間です。
※笹谷トンネル内と帰路の山形自動車道です。
翌日となる今日の午前中には、登記申請できます。
070830thu.