感動するほどの、初めての歯科治療。[11.12.wed.]
いま定期的に診察・治療・指導をいただいている医師M先生からの紹介でした。
当職オフィス近くにあります。 歯医者さんです。
歯科医院 “デンタル イーエムズ”です。
※M医師は、私に「久保クン、歯が痛いだろう。歯医者に行きなさい。不眠症と頭痛が軽くなるよ」と、おっしゃいました。
当職オフィス近くだったこともあり、さっそく診察にうかがったというイキサツです。
初診時、どこの歯医者さんでも、まず歯全体のレントゲン写真は撮ります。
しかし、問題はそのアトです。
写真を観て、「微に入り細を穿って;びにいりさいをうがって」、私の歯・歯茎・歯根について説明してくださったのは初めてでした。
また、口腔内の唾液と細菌を採取し、顕微鏡に映し、目の前のデジタル画面にライブで映し出してくださいました。
自身の口腔内の細菌を目(ま)の当たりにした経験は、これが最初です。
数種類(もしくは、それ以上数)の細菌の説明も、スクリーン(画像)を見ながらしてくださいました。
いま生きている細菌です。
たしかに、いままでも通って診ていただいた歯医者さんは、たいへん親切にしてくださいました。
ただ、この歯科医は、これまで以上に素晴らしいのです。
最新の歯科医療と最善の歯科コンピュータ技術なのです。
感銘です。
さらに、血液と今後の治療についても、コンピュータ画面を観ながら解説してくださいました。
私のこれからの治療において、赤血球の状態などにより、、かなり左右されるようです。
まだ、運良く軽症でしたが、歯周病(歯槽膿漏)の治療も進行中です。
春先から、虫歯が鈍痛していて、「歯医者さんに、行かなくっちゃ」と思っていて、なかなか行く時間をとれませんでした。
M医師は、「ぼくの(マルちゃんの)直感だよ」とおっしゃり、「久保クン、歯医者さんに行きなさい」と指示を出してくださったのです。
そして、感動的と言っていいくらいの歯医者さん・歯科治療との出会いにあずかりました。
初診は、11月5日(水)、次が12日(水)でした。 次回は、14日(金)です。
M先生、イーエムズ歯科のS先生、ありがとうございます。 「今後とも、よろしく!」
081113thu.
斎藤やすのりサンの、後援会事務所開き。[10.11.sat.]
●前日からの疲れを引きずって・・・。
前日、医師からの指導で、医療検査・診察・注射・採血などで、かなり疲れていました。
この日は、『1日中休んでいたいくらい』 でした。
●知人の後援会事務所開設の会合が2件ありました。
しかし、この日(10月11日・土)に、2人の知人が後援会事務所をオープンしました。
一人は、元 気象予報士 斎藤やすのりサンです。
みずほ台(地下鉄)八乙女駅近くに後援会事務所を開設されました。
午前10時半集合です。
いま一人は、郡和子さんです。いずれも、後援会事務所開きです。午後1時開会です。
●少し、遅刻してしまいました。
斎藤さんの後援会開会に、地下鉄で行こうと準備をしていたら、メールで1件(初めての方で相談だけ)、電話で1件(前から関わっている事件)、ともに「成年後見事件」の問合せがあり、それぞれ併せておよそ1時間ほどを費やしてしまいました。
「これじゃ、開会時間に遅れる。たいへんだ。」
あわてて、タクシー会社に電話して、タクシーですっ飛びました。 結局、5分の遅刻です。
斎藤やすのりサンは、奥様・お嬢さんもご一緒でした。
岡崎トミ子さん、今野東さん。郡和子さん、大石正光さん、ゆさみゆきサン、坂下康子さん、菅原実さん、菅原敏秋さん、佐藤わか子さん、岡本あき子さん、安孫子雅浩さん、村上一彦さん、作並ゆきのさん、etc.民主党の近場の政治家はそろっておられました。~記載漏れがあったら、ごめんなさい!
●なぜ、民主党か?
第一に、私の政党政治の信条が、アメリカ・イギリスのような、二大政党制がいいという視点からです。
私も支持者の一人だった、今は亡き(1981年87歳で逝去)、市川房枝さんも、「二大政党になるべきだ」と、おっしゃっておられました。 同感でした。 交代できる政党が欲しい。
それから、第二の理由として、岡崎トミ子サン~もう、30数年のおつきあいです。 彼女が、東北放送のアナウンサー時代の1ファンでした。
彼女が政治家になって、社会党をやめてから、本格的に応援し始めました。
社会党時代は、大労働組合が応援を仕切っていました。 1庶民など相手にされませんでした。
その後、彼女の秘書の島本さんと、飲み歩いたり、当職事務所のスタッフだった小川原くんが、岡崎事務所に勤めたり(小川原くんが、当職事務所スタッフだったのは、もう10数年前のことですが)、別方向からも距離が縮まっていきました。
鳴瀬町の岳父の家が、家族ぐるみで、坂下清賢さんと仲が良かったり、私も、何かの会合で坂下康子さん(県議会議員)と友だちになったり、飲みに言っていた飲み屋(テンダーバー・りつこ)のママが、康子さんの従兄弟だったり・・・。
私の、再婚の司会者がゆさみゆきだったり・・・。
いろんな関係で、民主党関係者とは仲良しになっていきました。
偶然の、積み重ねです。
それが、このように民主党系の方々と、次々に仲良くなっていきました
●自民党とは、つきあいがないのか?
逆に、「自民党は?」 と、いえば。 かなり以前のことになりますが・・・。
宮城県司法書士会で、『政治連盟』の役員や『広報部長』 を、させられた頃があります。
そのときは、もちろん司法書士会としては、司法書士会に有益な法案を通すことのできる与党支持でした。 いわゆる、ロビイストです。立法権も、行政権も握っておられる。
ですが、愛知和男および絢子夫人とも何度もパーティなどでお会いしました。
市川一朗さんのパーティも出ました。 彼の事務所にもうかがってお話したことも、かつて何度かあります。
伊藤宗一郎さんも、大人物でした。 パーティなどでお会いして、話し込んだこともあります。伊藤さんの人柄には、心を打たれました。
ところが、不思議なことに、次にお会いしたとき、自民党の方々は私のことを、全然、覚えていてくださらないのです。
『縁がない』 とは、こういうことなのでしょうか?
自民党は、有力者・有名人でもない、大会社の社長でもない、私のような1小者・1庶民・1市民など眼に入らないのでしょう。
大道塾、自衛隊、その他、数え切れないいろんな会合・パーティでお会いしているのですよ!
そのとき、再度名刺をお渡しして挨拶しなおしているのです。でも、覚えていてくれません。
そういえば、前の宮城県知事の浅野史郎さんもそうでした。 彼には、5-6枚名刺を渡しているはずです。 ただ、夫人は覚えていてくれて、街であっても笑顔で挨拶してくださいました。
●岡崎さんから、始まった民主党系の友人知己!
やはり、『知人になる・友人になる』・『私を、覚えていてくださる』・『私は、シガナイ1庶民・1市民かも知れないのですが、会ってお話ししたときマジメに人の話をきいてくれる』・『コミュニケーションが成り立つ』、そういう人たちと仲良くなり、その方々を支持していくのは、しごく当然です。。
岡崎トミ子サンから始まった、その出会いの積み重ねが、いま私を「民主党系支持者」にしています。
●この日の、後援会事務所開きは、観衆・聴衆もマスコミ・プレスもすごかった。
満席どころか、立ち席だけでなく、会場からはみ出るほどでした。
あふれる観衆・聴衆です。
081011sat.
いよいよ選挙、まぢか![10.8.thu.]
母国 日本は、「きわめて変わった総理」 に、替わりました。
おかしな政権です。 少なくとも、私の常識が通じません。 私の、常識(主観)のほうが、間違っているのかもしれませんが・・・。
福田康夫さんや、安倍晋三さんは、まだ良かった。 一応、それなりにマジメな方でした。
ただ、福田さん、安倍さん自身はまだしも、その政権党(与党)自体が、おかしいと見受けられました。 末期症状です。
もう政権党(与党)が交代しなくてはならないところにきています。 日本の常識です。 良識といっていいでしょう。
内閣支持率低下、経済格差、官僚と政府の癒着、社会保険庁の乱脈とテイタラク、各省官僚の天下り・不行跡・欺瞞行政(犯罪に近い)、道路財源へのハイエナ、数人の首相交代にも国民の意思確認をしない(選挙をあえてしない)、国家・国民への安全保障の放棄(北朝鮮による拉致・竹島・尖閣諸島・国境侵犯等)、医療過疎(小児科・産科・救急医療)などなど。
アメリカの国民の良識も、特別な異変がなければ、11月に政権党(与党)が交代するところです。
私も、普段から、個人的に親交させていただいている方々の後援会が、いよいよ動き出しました。
一人は、郡和子(こおり かずこ)さんです。 もう一人が、斎藤恭紀(さいとう やすのり)さんです。
昨日(10月7日)は、郡さんの後援会事務所(堤通雨宮町)に行ってまいりました。
佐藤さん、星野さん、海老原さんらと、歓談してきました。
郡サンの後援会事務所から、宮城県行政書士会に行って、鈴木ミシン商会に寄って、お茶の井ケ田で抹茶を購入し、かかりつけの内科医で診察をして、事務所に戻り、仕事を済ませ、生協で買い物をして、帰宅です。
今日(8日)は、斎藤さんの後援会事務所(八乙女)を訪問してきました。 ちょうどいらっしゃった木村さんと世間話をしてきました。
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その後、黒松生協に寄って、五木寛之「遊行の門」・「レッスン」・「凍河」の3冊、「月刊プレイボーイ;11月号~ピカソの女神たち」、「下流社会 第2章~なぜ男は女に負けたのか」 を購入し、配偶者から指示のあった夕食準備の食材を購入し、帰宅です。
いまの政権で、国民のために真剣にがんばっているのは、舛添さんだけのようです。
081008thu.
ポリープ;がんへの恐怖![10.3~7.tue.]
◆先日(3日)、個人的な恐怖のストーリーが始まりました。
「他の内臓に、ポリープができていることも可能性としてはあるので、CTスキャン(造影剤を入れて)の検査をしたほうがいい」 という、信頼しているM医師の一言で決まりました。
私は、間髪入れずに、「じゃあ、CTスキャンの検査をします」
このとき私はM医師に対し、「夏に、かかりつけのK内科医に、内臓を超音波;エコーで見てもらったときは、異常がありませんでした」と言ったのです。
しかし、M医師は、「超音波じゃあ、細かいポリープなどの、異常は分からない」とのことでした。
このとき、おそらく私の顔面は一変したのでしょう。 多分、形相が豹変したことは、間違いありません。
M医師は、「先生が、久保クンを、責任を持って治してあげる」と、おっしゃtのですが、私は顔面蒼白だったのでしょう。
何度もM医師は、私を励ます言葉を立て続けにおっしゃいました。
◆別の病院(MRIとCT設備のある病院)の予約。
「この医院で、設備(検査器械)がないから、ほかの病院を紹介するから・・・。あとは、看護士から検査の予約と手順の説明を受けておいて」となりました。
恐怖心を抑えながら、ナースからの説明と、紹介された病院に『検査の予約』を入れました。
◆ポリープへの疑念が徐々に膨らんできます。
『もしポリープでも発見され、それが悪性腫瘍(癌)だったらどうしよう? 私の人生と、目の前にいる我が子の生涯設計はどうなるのだろう?』 芽生えた不安は、芽生えから葉をつけ、みるみる生育・増殖していくのです。「雪だるま式」に、大きくなっていきます。
私が心配していたのは、我が子だったはずなのに、すっかり逆転していきます。
その日(10月3日)は、私と息子の、先週の血液検査の結果を訊きに行ったつもりでした。
◆我が子は、たいしたことはないのです。
むしろ、ADHD;attention deficit hyperactibity disorder のきらいがあるという、我が子の方が気になっていました。
我が子は、少々「鉄分が不足している。こういう場合、貧血のおそれがあり、また神経不安定などになりやすいから、鉄分を多く摂るように。鉄分の多い食事がいい。 小松菜などがいい」 とのことでした。 食餌療法の指導だけでした。
◆胃の不調から、診断は拡大・膨張していきます。
むしろ、問題は、私にありました。 『胃の調子がわるい。このところ、2週間以上にもなります』
私は、『いつものストレス性だろう』と、タカをくくっていたのです。
ところが、M医師は、その原因について、他の臓器の可能性を示唆し、説明しました。
とりわけ、「肝臓の数値が良くない。 胆嚢・胆管のポリープの場合もある。膵臓も、診ておいたほうがいい。 そのため、造影剤を使ってCTスキャンによる検査が望ましい」とのことです。
たしかに、自身の人生を、ここで 「悪性ポリープ」 のため、くたばるという訳にはいきません。
発見できるなら、『一刻も早いほうがいい』に、決まっています。
こういう場面に出会った際の、『自己のリスク管理』 の当然の対応でしょう。
私は、即座に、「CTの検査をします!」と答えました。
◆昔からのかかりつけのK内科医に、相談と診察。
胃と肝臓から始まった話でした。 月曜日(6日)、私は、以前から25年間かかっていたK内科医のところに行き、胃の絶不調と肝臓の検査(血液)をしていただきました。
このK内科医は、「胃の薬を出しましょう。 消化の悪いもの、脂っこいもの、過食はひかえてください。また、とくにお酒に注意してくだい」
その日(6日;月曜日)の採血は、翌日(7日;火曜日)に結果がきちんと出ます。
このクリニックは、その検査データが記された内容を、書面で説明くださり、その書面もくださいます。
翌日の午後、K医師は、検査結果のデータを見ながら、逐一解説してくださいます。診察における結論は、「とにかく、お酒の量を減らしなさい。そうすれば、胃の不調も、γ‐GTP、コレステロールなども落ち着いてくるでしょう」 との指導および忠告です。
◆とにかく、〔CT+造影剤〕の検査を受診です。
明確でない以上、症状もある以上、金曜日(10日)の検査を受けることが、私にとって 『最善の選択』 です。
覚悟を決めました。 不安、さらに結果への恐怖と同居です。
すごい精神的な落ち込みです。
◆前進しか、選択の余地はない。
2人の信頼している医師に、さんざん指摘・指弾されました。
さらに、ここ数年から10年間において、癌で他界された10人くらいの友人知己の顔が、思い浮かんできます。
若くて、亡くなった方も、少なからずいるのです。 私の脳裏を去来します。
身近な方、周囲の方、近親者から、私に対して 『元気がないね!』 と、言われてしまいます。
こんなとき、心が弾むわけがない。 たとえ演技でも、元気イッパイにふるまうには、私の演技力ではムリです。
刻々、運命の検査・診察は、近づいてきます。
さて、『吉とでるか? 凶とでるか?』 あと2-3日で、判明します。
08/10/8/wed.
住宅評論家 古田義弘先生のパーティ.[10.4.sat.]
公私共にお世話になっている住宅評論家 古田義弘先生の、40数年にわたるご活躍のフシメのパーティがありました。 「古田義弘氏を讃える会~新しい出発に際し」という集いです。
古田先生は、「住宅評論家」という仙台では唯一の肩書きのほか、多くの役職・分野で活動されています。
東北福祉大学 特任教授、東北ハウジングアカデミー学院長、フルタプラニング代表取締役などなど、数々の職務に就かれていらっしゃいます。
40数年間も、スゴイの一言です。
会場は、国際ホテル2階です。 発起人(5名)の方々は、古田先生ととくに親しい100名をご招待し、うち90数名が出席していました。
発起人代表のご挨拶、来賓のご挨拶、発起人のご紹介、お子様たちからの花束贈呈がありました。
さらに、25年~40年もの間、苦楽をともにされたスタッフの紹介と挨拶もなされました。
司会は、建築家の吉田いさむ先生です。
祝辞(正式なもの)、スピーチ、日本舞踊(祝舞)、阿波踊り、吉田先生のシャンソンとカンツォーネ等々が披露されました。
ピアノの演奏も、ことのほか素晴らしかった。 容姿も音色も美しい高野栄里さんでした。
萩清山会 会長 傳田幾男さんらの交流会によるバックアップの友情も、感激的でした。
萩清山会そのものは、異業種交流会で会員がおよそ4000人もいらっしゃるそうです。
※送賓の様子。
あまりぎょうぎょうしい祝賀会ではなく、アトホーム的なくつろいだ楽しい祝宴でした。
08/10/05/sun.
注記=まだ、HTMLに慣れていません。 また、PCのコンディションもイマイチ回復していません。 少しずつ、ブログを継続していきます。 よろしく!