ヨークタウンの“ユニクロ”.
先週、家族でヨークタウンの“ユニクロ”でショッピングしてきました。
自動車で出かけたのですが、なかなかこの“ユークタウン”とその中にある“ユニクロ”に行きつけません。
そこで、車中から、ユニクロのアエル店に電話して―ドライバーは電話できないので、配偶者が電話しました―教えていただき、ようやくたどりついたのです。
自宅から30分ほど、北にドライブしたところです。
でも、家族は大喜びです。
配偶者と子どもの衣類が中心で、私は、ソックス・T‐シャツ程度でした。
その後、ヨークタウン内のお店を、ウインドウショッピングです。
仕上げは、タウン内の書店(熊谷書店)に入り、私は「愛の流刑地;渡辺淳一;幻冬舎」と「それでもボクはやっていない;周防正行;幻冬舎」・「お父さんはやっていない;矢田部孝司+あつ子;太田出版」を購入しました。
後者の2冊(「それでもボクはやっていない」・「お父さんはやっていない」)は、驚愕すべき内容です。
映画のシナリオと対談そして冤罪ドキュメントです。
最近私が読んだ本の中で、ベスト1の2冊です。
この2冊については、別のblogで記述します。
ユニクロ→熊谷書店→弐萬円堂(メガネセンター)→COOP(生協)での、家族のうち3人で、ドライブ&ショッピングという午後でした。
070120sat.
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重度障害者療養所へ、2日間にわたる訪問でした。
●仙台市の北西に位置する「独立行政法人」に2日間にわたり行ってきました。
かつて、法律が変わる以前は、「国立療養所;病院」でした。
成年後見人としての職務です。
●昨年(平成18年)秋の、仙台市による『成年後見の集団申立て』において、私がお一人の重度心身障害者の方の成年後見人として、仙台家庭裁判所から選任されました。
一昨日(1月17日)は療育室長およびご本人(被後見人)との面談です。1時間くらいで済みました。
昨日(18日)は、各種の契約行為でした。2時間ほどかかりました。企画課の担当の女性事務員2名と、児童指導員Yさん(臨床発達心理士)と、前日お会いした療育室長の4名が対応してくださいました。
●「療育」なのです。普段なじみのない概念です。
「教育」でもない。「治療」でもない。「養育」でもありません。「看護」・「養護」もしくは「介護」でもない。「療育」なのです。
被後見人は、28歳になられます。
●昨年秋に、私が成年後見人に就任した方は、38歳でした。
こちらの方は、宮城県からの要請で、私が家庭裁判所から選任されました。
仙台の南にある病院にいらっしゃいます。
お二人とも、固定病状なので、回復の見込みはきわめて稀薄です。
●成年後見制度前から、七十年安保闘争に始まる、大学紛争・学生運動・市民運動・社会活動など、障害者差別問題などとはそれなりに関わってきたつもりです。
しかし、現実に職務として、重度の方の実務を肌で感じるとき、自分の蒙昧さ・未熟さ・非力さ等々を痛感します。
「たいへんに、つらい!」というのが本音です。
成年後見事件のあった日は、疲労からか、眠っても眠っても疲れが残ります。
●認知症高齢者の成年後見は、かなり慣れました。
我が家にも1人(87歳)いるせいもあります。
精神障害と知的障害は、自分では意識していないつもりでも、すごい精神・神経・肉体の疲労があります。翌日にその疲労度がわかります。疲れを引きずっています。
まだまだ、浅学菲才だからでしょう。
ついつい宗教的な本(五木寛之・禅など)や哲学的な本(池田晶子・埴谷雄高など)に眼を通し、彼ら(被後見人)に想いをはせる宵になります。
彼らのこれからの人生、過去の生活歴、「行方不明の生みの親はどうしているのだろう?」などなど、軽く飲みながらも瞼(まぶた)が濡れてきます。
070117&19
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知人の公認会計士の通夜でした。
知人の公認会計士の通夜でした。享年52歳です。
特別、仕事上の付合いがあったわけではないのですが、古くからの知り合いです。
昔は、家族や仲間で旅館・温泉に泊まりに行ったり、家に行って飲んだり、4家族ぐらいの仲間でした。
お互い、忙しくなってから、またいろんな環境の変化から、それほどの付合いでもなくなりました。
でも、年2-3回は、会合などでご一緒させていただいていました。
東京大学文学部から、塾の講師を経て、公認会計士です。
通夜にもかかわらず、かなりの参列者でした。
仙台市長もお見えでした。
52歳、若すぎる旅立ちです。
喪主の奥様が、「若すぎる突然の他界に、憤りさえ感じます」とその無念さ・悔しさを述べておられました。
幸い、3人のお子さんがほぼ成人前後であることが、「残された私の宝物です」との奥様の発言にこめられていました。
私も、56歳ですが、早世した友人知己は多くいます。
20人以上はいます。
20代・30代・40代・50代・・・それぞれにおられます。病死・事故死・自死・被害者 etc,
私自身、生きること・生き続けることの意義を問いかけられているようでした。
「これから・・・」という、働き盛り、子どもたちの巣立ち、そして妻と迎える晩年・・・。
あと20年~30年の余命は、一瞬にして崩壊です。
宗派は、親鸞の浄土真宗でした。
導師が蓮如(親鸞の弟子)の言葉を解説してくださいました。
五木寛之も蓮如について、かなりの評価をなさり文献などで著しておられます。
いずれ、私も「野辺の白骨」になる身です。
家族がいる、また家族に支えられて生きながらえている我が身を、真摯に振り返させられるひと時でもありました。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌!
●追記
その信用金庫に電話したら、倒れたのがその信金(二日町支店内)だったそうです。表で奥さんが自動車に乗って待っていらしたとのこと。
「新年の挨拶」で訪問し、12時ごろ倒れ、救急車で運ばれ、1時45分お亡くなりになっています。病院(東北大学附属病院)もすぐ近くなのです。
別の、共通の友人にも電話しましたが、たいへん驚いて「すぐに駆けつけた」とのことでした。
070113sat.
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疲れちゃった!
今朝、新聞(地方紙)を午前4時半に読んでいたら、知人の公認会計士が逝去の「死亡広告」が出ていてビックリしました。
享年50歳を越えたばかりの、働き盛りの年齢です。
昨年年末の、信用金庫の忘年会でご一緒させていただきました。
彼は、元気に「乾杯の発声」をなさっていました。
古くからの知人です。
東京大学文学部卒で、公認会計士になられた経歴の方です。岳父は、元 石巻市長です。
新春の「東京六大学の会」でも、毎年お会いしています。
死因は、『胸部大動脈解離』とあり、一昨日(10日)午後1時42分とあります。
存命不定です。
そういえば、昨年1月25日にガンで逝去した(丁度1年ほど前ですね)高校の同級生の一周忌が、27日に行われると、遺族から連絡がありました。法要へのお誘いをいただいていました。
彼も、一昨年12月初めに当職の事務所に来て、私に「おれは、ガンなんだ。あと1年は行きたい。その1年でこの世の残務処理をしたいから手伝ってくれ」と言われていました。
それから1年どころか、1ケ月ほどで他界されたのです。
昨日は、事務所スタッフのミスでトラブルとなり、山形まで高速道路で行ってきました。たいへんなストレスです。
まだ、解決していません。
かなり疲れているのかな?
自分も、気をつけなくっちゃ。
地方紙をとっていると、月に4-5人の友人知己の「死亡広告」を拝見します。
参席できなくても、香典と弔電は差し上げるようにしていますが、どうも葬儀は苦手です。
逆に、結婚式へのお招きは、大歓迎です。
はりきって参加します。
生き続けていると、辛いことも多くあります。
それらを乗り越えて、歯をくいしばって、気を取り直して生きていくということが、早世される友への「鎮魂歌」なのでしょうか?
そういう私も、かなり疲れているという実感です。
070112fri.
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