“生きる勇気のお手本”ともいえる、男女ともに必読書。[7.24.thu.]
「生きていく魂を踏みにじられた」それほどの陵虐を強いられた。
レイプによる被害者の精神的実存(魂・人間としての誇り・生存意義)が、これほどまでズタズタにされるものとは・・・。
知らなかったこととはいえ、無知蒙昧な自分を恥じ入りました。
その若き女性が、『自らの生きる魂を、自らの力で勝ち取る戦いの記録』と、形容できるかもしれません。
「性的被害者にあうということ」小林美佳著(朝日新聞出版 刊)です。
同じように、アメリカで性的被害を受けた大藪さん本も、ほぼ同時期に出版されました。
私が、一気読みしたのは、小林さんの本でした。
この本の評価は、いろんなほめ言葉で飾れるでしょう。 読んでいていて、それほどまでに、読み手の魂に問いかけてきます。
でも、血も涙もないケダモノに等しい男たちに殺された女性の生きる魂です。
その「生き続ける魂の復活の実録」というのが、私の第一印象でした。
ちょっと、評価するための表現が難しいのですが・・・。
この女性は、すごい!
とくに、これから大人になる男女に呼んでいただきたい。
もう大人になってしまった人にも読んでいただきたいのですが・・・。
中学生・高校生の男女にとって、必読書です。
あまり、コメントは必要ありません。
小林さんと大藪さんは、婦人公論でも対談しています。 これも、必読の対談記事です。
080724thu,
松井著「商業登記ハンドブック」を蛭町講師が解説。[7,19.sat.]
平成18年5月の会社法・商法の大改正に伴い、商業登記法も大改正になりました。
その商業登記法の解説書が、それなりに少なからず出版されました。
そんな多数の出版物の中でも、群を抜いているものが 松井信憲(のぶかず)著 「商業登記ハンドブック」 です。
その名著を、司法書士試験受験界のカリスマ講師 蛭町(ひるまち)浩氏が解説してくださるというのです。
いわば、『ヨダレの出るような旨い話し』なのです。
松井信憲先生は、いまは法務省を離れ、弁護士になられています。
ただ、会社法改正の作業中枢において、法務省 民事局 商事課(平成15年4月~平成19年3月)のスタッフでは、重要なメンバーでした。
彼自身、この著書のはしがきで・・・、
「商事課を離れるに当たり振り返ってみると・・・(中略)・・・原田晃治 法務省 大臣官房 審議官の熱意とご指導によるものであり・・・(中略)・・・本書は、遅ればせながら同審議官に対する私のレポートのようなもの」 と、したためられておられます。
会社法において、改正時点では 法務省 大臣官房 参事官 相澤哲氏と法文を具現化した郡谷大輔氏が有名です。
郡谷氏による法文は、日本語の文言として、限界の表現による法文化と言われました。
松井氏(当時 法務省民事局付け)と松本真 法務省民事局付け検事が、東北学院大学で講義をしてくださいました。 すごい完璧な講義でした。 さすが、直接、会社法を法文化した方がただと感激しました。
主題に戻ります。 今回の講義は、東北ブロック司法書士会の研修会でした。
会場は、山形市の駅前メトロポリタンホテル4階会議室です。
東北から、およそ220名の司法書士が集まりました。 宮城県会からは、50数名です。
※山形自動車道、メトロポリタン山形、山形駅。
テーマは、「松井信憲著 商業登記ハンドブック を読む」。講師が、前述の蛭町浩先生です。 司法書士ですが、法学館 伊藤塾の講師で、他の大学の講師もなさっておられます。
午前中75分間、午後は休憩を除いて3時間15分です。 計270分(4時間半)でした。
有意義な講義でした。
私は、講義修了後、仙台で会合(夕方6時から)があったので、高速道路で戻りました。
※かつて当職事務所で研修していた司法書士のタンジくんと奥様(福島県会)にお会いできました。 奥様は、ご懐妊中です。なぜか、タンジくんとサワヤマくんは仲良しです。 私とのツーショットですと、ソッポを向けています。 誤解を怖れず評するなら、タンジくんは女性ではサトヨさん、同性ではサワヤマちゃんを愛しているのでしょう。
080719sat.
当職オフィスの夕宴。 [7.17.thu.]
当職のオフィスのスタッフが、参加して夕宴の飲食と歌舞をいたしました。
経理担当の私の配偶者のみ、不参加です。 他の6名全員参加。
※河童亭と神永先輩のご二男 久次郎さん。
宴会の趣旨は、いくつかあります。
まず、先般、司法書士試験の受験(筆記試験)を終えたNくんの慰労会兼合格祈願祭です。
次に、Hくんが、以前から傷めていた靱帯の手術で3週間入院休暇をとるため、手術成功の祈願祭と壮行会です。
さらに、司法書士Kくん(女性)のご主人が、急に東京転勤になったので、8月末か9月くらいまでしか当オフィスに在職できません。 その残念会と歓送会です。
また、スタッフHくん(女性)が、早稲田セミナーの受講単位をあと1ケ月で修了できそうなので、その激励会です。
もう一人、スタッフWくん(女性)が、秋の行政書士試験合格を目指しているので、その合格祈願祭です。 ただ、彼女はすでに社会保険労務士の資格は、取得しています。
会場は、「河童亭」です。 神永先輩のお店です。 最高の味(料理)とお酒と、お店からサービスの焼き鳥をいただきました。 ご馳走様でした。
夕刻6時から、8時ころまででした。
で、Nくんは初めから早く帰る予定でしたので、残り5人でカラオケにくりだしました。
8時半前からです。
私は、初めの2曲を歌って帰ったのですが、残り4名は午前1時過ぎまで歌舞音曲に耽溺していたとのことです。
※帰り道、一番町のアーケードに「裁判員制度」の横断幕がありました。 賛否分かれていますが、国側は強行しそうです。
4-5時間も、よく歌いつづけていたものです。
あきれるべきか、驚くべきか・・・? 若いっていうことなのか? タフと表現すべきか?
すごいエネルギーです。
080718fri.
東洋ワーク㈱須佐社長ご母堂とのお別れ。[7.12.sat]
7月1日(月)東西会がありました。
公私ともに親交いただいている須佐尚康 東洋ワーク社長もご出席して、楽しい会合でした。
ところが、この会合の途中、須佐社長がひんぱんに電話での応対に追われていました。
半分ほど、中座の状態でした。
須佐社長が戻られてから、臨席の私が、「社長、何かあったのですか?」と問いかけたところ、「入院中のおふくろの様態が悪いっていうんだよ」とのことです。
「この東西会が終ったらすぐ病院へ行くけど、なんせ90歳だからね。何があってもおかしくないよ」と、おっしゃっておられました。
7月9日の地方紙の朝刊に、お母様の死亡公告が掲載されました。
8日に他界されたとありました。
実家の会津若松の隣町 金山町で近親者のみにて密葬とのことでした。
告別式は7月12日に仙台鹿野の葬祭会館で執り行われました。
金山町長もご出席され、弔辞をささげられていました。
私も参列させていただき、四十九日・百ケ日の法要も出席させていただき、その後の法要会席にもお招きいただきました。
満90歳であられます。
ご主人とともに満州にも渡られ、須佐社長のお兄様お二人を戦時中の混乱期に亡くされています。
しかし、長女・三男(須佐社長)・四男・二女を立派に育てられ、みごとな人生とお見受けいたします。
葬儀も、東洋ワーク株式会社と須佐家との合同葬で、仙台の経済界・政界など各界のトップの方々からご出席・弔電・花輪などがありました。
私の友人知己の方々も、数多くご参列なさっておられました。
弔電も、宮城県知事・仙台市長・商工会議所会頭など、一流の方々のお悔やみが奉読されました。
故 須佐イマ子様、謹んで、ご冥福をお祈りいたします。 合掌
080713sun.
我が子の、急病の治癒。[7.11.fri.]
我が子が、先週 金曜日(4日)の夜から「ジンマシン」を発症しました。
ここ数年、病院にはかかったことがない元気な子です。
翌朝(5日・土)の朝から、嘔吐・下痢・強い激痛・血の気が引くという急な症状が出ました。 早朝だったので、救急車を呼び、仙台医療センターで点滴とお腹の薬でひとまず沈静しました。
その後、小児科が開院時間になったので、かかりつけの小児科医に行きました。
風邪と胃腸障害ということでした。
※丸山クリニックでの採血で、マイコプラズマを発見しました。
ところが、夜(5日・土)にまたすごい「じんましん」が発症し、救急病院に行きました。
注射と投薬です。
で、翌朝(6日・日)に、顔がパンパンにむくみ(浮腫)、まだ不調でした。
再度、北部救急病院に駆けつけ、お薬をいただきました。
翌日月曜日(7日)、近くの皮膚科で診察していただきました。
「 じんましん が、内臓にもきたための、急激な症状だったのでしょう」との診察でした。
5人の医師にかかって、5人5様の診断です。 そこで、切り札の6人目となります。
「 じんましん」のこともあり、私の信頼する丸山アレルギークリニックで、金曜日夕方に診察していただきました。
採決の結果、マイコプラズマ菌も見つかり、それ以外のアレルギー系の治療もしていただきました。
合計6人の医師に診察いただいたことになります。
私の信頼する医師で、落ち着きを得ました。
また、皮膚科の先生(花田女医)がおっしゃったことが、あの急激な症状を言い当てていたようです。
丸山先生も、「そうだったろうね」と、うなずいておられました。
まずは、大事に至らなくてホッとしました。
丸山先生からは、漢方薬と頓服を処方していただき、またカラー療法・音叉療法なども勧めていただきました。
※普段からの健康療法。
080711fri.